一年前、田舎の暮らしに憧れて でも農業の「の」の字もしらなくて
どこへむかっていっていいかもわからなくて(今だにわからないけど)
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農家といえば 田んぼ。
田植えのさわやかな風景と実りのころずっしりと穂をたれた稲を刈る姿。
山に囲まれはざ掛けされたのどかな風景。
ほんとに絵に描いたような…。
夏、青々と広がる田をただきれいだなあと思っていた風景が
除草剤によって草もはえない、ひとの気配の消えた田だったとは
ほんの最近までしらなかった。
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「お米売って味噌売ってコンバイン買えたのよ~」とは
我が家の師匠の奥さん、かあちゃんのことば。
無農薬で米、大豆をつくってる。
田植え機、稲刈り機、脱穀機、いろんな機械がいる。
維持するのも大変だ。金もかかる。そう、専業でいるのは厳しい。
「ただ畑をやりたいのか?それとも農業で食っていくつもりなのか」
師匠からの問いに ただ漠然と「田舎で」「自然の中で」と思っていた私たちは
深く突かれたし 考えさせられた。迷った。
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師匠は完全無農薬の合鴨農法で米を作っている。
でも合鴨だけで除草ができるわけではないからもちろん手取り。
そして専業であるからかなりの広さがある。
父ちゃんひとりでできるもんじゃない。
だから初期一回だけ除草薬をまく、限りなく低濃度の米も作っている。
母ちゃんは言う「ほんとは全部したい。でも父ちゃんが倒れちゃう」
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手刈りの天日干しの米のおいしいこと。
そしてそれはとっても希少で値段も高くなる。
とても手のかかること高くなるのはしょうがない、そうでなくてはやっていけない。
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要は知ること、なにを選択していくか。
師匠は新型田植え機で植える、コンバインが来て脱穀がどんなに楽になったろう
乾燥機がきて量も受け入れられるようになった。
自然なくらしをイメージしているひとからするとどうなんだろう。
油も電気も必要だ。自然じゃないというんだろうか。
もちろんそれでも 手植え、手刈りはしなくてはいけないし 仕事は山ほどある。
それでも 「新型」になった分 楽になった、早くなった。
そのぶん、「となりのばあちゃんの田んぼも面倒見てあげられる。」
農薬つかわなくてもいい田んぼを増やしていける。
つぎはそのむこうのじいちゃんの田んぼかもしれない。
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特別な変わり者でしかなかった師匠(ちと失礼か)
でもまわりの気持ちを少しづつかえていた。
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ちょっと前まで 田植えも稲刈りも草取りも近所で回って交代でやっていた
機械も仲間で買って交代でつかった。つながりがあった。
でも専業でやっていけない、休日だけの農家になった。
収入はできた機械も自分たちで買えるようになって
個人個人になった。
つながれない、でも「目だけはいつもある」 変わったことはできない。
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変わったことではないよ 「あたりまえのこと」をしよう。
月に何回かしか食べれない「特別なモノ」ではなくて
毎日食べれるようにしょう。
米を売る 味噌を売る 商売しなければ 米は作れない。
だから父ちゃんがつくる、かあちゃんが売る。
一人でも多くのひとに美味しいお米が届けられるように。
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たくさんの有機農、無農薬に関心のある人がやってくる、学んでいく。
そしてそれぞれ旅立っていく いろんなとこで自分でやっていく。
でも父ちゃんは一人でがんばっている。
母ちゃんに娘に息子に家族でがんばっている。
私たちがやることはなんだろう。
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新しい地で自分たちの分農薬をまかない暮らしをすればいいのか。
ほんとにそうなのか?
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つながっていきたいと思う。
いつでも飛んでいける気持ちでいよう。
みんながいれば もひとつむこうのばあちゃんの田んぼも生き返る。
そんなやり方もあると思う。
遊びじゃないよ、楽しいだけじゃやってられない。
でもいっしょにいれば大丈夫。そんな仲間はできると思う。
どこへ向かっていくかわからない。
でも 会いに行こう。きっとなにかできることはある。
いっしょにやっていこうよ。
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