***

あらゆる制約を無視していましたいことは

テント背負って二人で歩きたい。

ただ歩きたい。いろんなところを

あてどもない旅もいいけど

わらしべ長者みたいに 出会いのままにひとつづつたどっていけば

どっかへいけるような気がします。

もちテントしょってOK.

:

:

バイクもいいね

わたしはよ?

フュージョンでタンデムでしょ

おお~自転車で追いかけてこいかと思ったよ。(笑)

○○の奥さんとかご主人とかでないところで

でも「二人」で関わっていける出会いをしていきたいと思う。

「奥さん」ポイント高いのも悪くはないけどね。

今は、やっぱりいろんなことをしたいと思っているのが本心かな。

固定観念を持たずものを見る。自分の素直な感情を大事にする。

子どもも大事だけど いつかは二人で歩いていたい。

雨のふる日は雨の中をテントでもいいし、歩いてもいい。

そんな感じ。

いつでも歩ける準備しとくよ

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

もしかしてつくる三昧

正月に熱を出しまして「排出~」なんて

まったくの家族任せの寝正月な母。

なんだかぬけきれていない感じもありつつ

今年も仕事始めです。

なんて言葉が出るとは笑ってしまいます。

去年の今頃は想像もできなかったこと。

夫も仕事もやめて引越しのための大掃除をし

あたらしいすまい あたらしい暮らしをさがしていました。

春にはどこかちがうところに飛んでいっている予定でした。

でも変わらずここにいます。

なんだなんにも変わらなかったんじゃない。

でもそうでもないかもしれません。

いろんなあたらしい出会いがありました。

懐かしいひとにも会いました。

どこかどこかと思っていた私たちでしたが 

結局は田舎だろうと都会だろうと

自分達がどう暮らしていくか。

なにが大切か そんなことを考える1年になりました。

お昼のお店番ではじまったバイトも夕方までになり

春からはさらに増えそうです。

加えて懐かしい方からの声かけで写真のお手伝いも復活。

年末になってかなり忙しくなってしまいましたね。

つくることがつねにまわりにあって

つくることがあることがあたりまえだった私たち。

ずっとつくるひとだと思っていた夫が

つくることで体を壊して

普通が何かわからなくなって

ふつうのくらしを探してた。

ふつうの仕事ってなんだろう。

食べるため生きるために稼ぐってなんだろう。

とりあえず

いま夫はふつうの仕事リハビリ中。

今度は最後のチャンス、もう変われない、

始める前はそんな大きなものしょっていたみたい。

でもいまは新しい生活からなにかを得ていると思う。

一生もんではないとおもう。

そうでなくてもいい。

なんだってできる。そう思って一歩一歩進んでくれたら

いいと思う。

そして私。

ふとんやさんに写真やさん。

布裁って アルバムつくって ラッピングして

ハサミに グルーに両面テープ。

なにがしたいとか なにがつくりたいとか。

なんだかまだまだわからないけど

これはこれ つくる三昧なのかも。

ゆっくりのんびりお母さんも社会勉強です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おめでとう

お誕生日です。私の。

エクアドルの独立記念日だそうですね。

ご縁がありますでしょうか。

http://www.slowwatercafe.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なんにもないけどぜんぶある

ブログをはじめて3ヶ月になる。

もうでもあるし まだでもある。

ブログというのはなにか特別な人のものだと思って

いたりもしたのだけれど 勝手な独り言を書きながら

何とか続いていけるもんだなあと

つねに三日坊主の私としては大進歩かもしれない。

田舎暮らしをしよう。ということで動き始め

とりあえずその記録と社会勉強としてはじめたわけ。

でもいろんなことがあって 結局ここにいる。

動かせない事情もあったにしても どこか“失敗”な

感じもなくはなく 自分がなにしているんだろうと

思うときも多かった。

なんにもないけどぜんぶある

田舎の暮らしを見てみて コンビ二もビデオ屋も

おしゃれなお店もないけれど

山もあって川もあって海もあって 

自然の中にはなんでもあるような気がした。

自分の周りのないもの探しばかりしていた。

でも

日本で3番目に小さい市なんだって?

川もあるし 畑もある 空も広い

子どもの声が聞こえてる。

おたまじゃくしをつかまえて

菜の花のじゅうたんをながめて散歩する。

高い山も渓谷もないけど

それなりにちゃんと 人の暮らしもつながりもある。

そういうこと。

たとえどこにいても誰にあっても 

文句ばっかりいってたらなにも見えないし

ちゃんと見てればいろんなことが見えてくる。

夫殿 最近は瀬戸内海の島もお気に入りらしい。

そんな夢を見るのも楽しいよね。

来週は山へ行って来ます。

今は“生活”ではないから楽しめること

だからこそ気づく自然のことを

考えていくのが私達の時間かもしれないですね。

まだまだ わたしたちにできること探しです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

親の死に向かいあったとき

私は涙することができるだろうか。

ずっと考えていることだけれど

一度失敗しているので やはりあまり語ることではないのかななんて

ひとりごとだからいいか…

両親を尊敬しているし感謝している。大好きだ。

でも素直に向かっていけない。

親への思いが強すぎるのか。

長女というものは大体そうなのか。

それとも私が勝手に思いすぎているだけなのか。

高校卒業とともに家を出た私

そして今 両親といた時間より

夫と出会ってからの時間の方が長くなろうとしている。

引越しの多かった私

ここでの生活がどこよりも長くなった。

そして親元に残った妹は

私とはまったく違う生活をしている。

音楽をやったことも写真のことも

それはそれで私だけれど

どこかで父とつながっていたかったのかも。

祖母が亡くなった。

末っ子でありながら後をとるために長子の養子となっていた父は 喪主をやることになった。

遠方から集まった伯父伯母たちはまるで同窓会のように談笑していた。

読経が流れているときでさえ。

自分達の親の死なのに。

両親といっしょに最後を看取った妹は 泣き通しだった。

田舎のこと葬儀屋さんまかせということもない

何もかも自分達 地域の年長の方に聞きながら気をつかい 休む暇もない父がいた。

そんな両親と妹を見て 泣くこともできず

悲しんでいるのかもわからない

居場所のない私がいた。

両親が亡くなったとき私はどんな姿を見せるだろうか。

自分にはわからなかった。

昨年 母方の祖母も亡くなった。

私にとっての「おばあちゃん」はこの人だった。

私におじいちゃんはいない。

私の記憶の中 祖母はいつも働いていた。

叔母と二人姉妹の母。

地元に残っていた叔母が喪主ではあったが

すでに父の母を見送っている母があれこれ段取りをして進めていた。

通夜までに間に合えばと言われたが

母の指示で子ども達をこちらに残していくことにした私は

このまま一晩待つことも もどかしくて

そのまま羽田に向かった。

最終のキャンセル待ちで向かったので

迎えに来る妹には怒られてしまったけれど…

つめたくなった、でもまるで息をしているように美しい祖母のそばで

母と枕をならべた。

夫も子どももいない娘の時間。

私の記憶の中では 生まれて初めてかもしれない時間。

一夜明けて

近所のお手伝いをお願いをしなかったので

私達は裏方。

妹は車を出し 私は水まわり 姪っ子たちのお守りをしながら

遥か昔の記憶をたどりながら親戚の方と話す。

(妹の生まれる前の話しにつき これは私の役…)

ただあわただしく 火葬場へ向かう。

留守のお願い 食事の準備 電話をしながら…

そして

窯のの扉が閉じられたとき

涙が出た。

後から後から涙が出た。

白く小さくなったおばあちゃんは

足のボルトもペースメーカーも置いていった。

手術を繰り返しながら おでかけが大好きな祖母だった。

いつ電話しても留守。そんなときは美術館とか。

いまは自由に羽ばたいているかもしれない。

ずっと遠くだと思っていた。

でもだんだん近づいている。

涙は 悲しいではなくて

ありがとうってことなのかもしれない。

そのときになってみないと分からないけど

ありがとうなら 言えるかもしれない。

今ここにいさせてくれることに

   ありがとう

| | コメント (2) | トラックバック (0)

身の上話。

そろそろ髪を切りにいこうかな。

もともと多い髪がちょっと重くなりすぎたかな。

黒いところも多くなってきたし…

そういえば 去年はしんじられないくらい白髪が増えたけど、

ほんとに玄米のおかげなのか 

それとも気持ちが落ちついてきたからなのか

ずいぶんと少なくなったような気がする。

(これは夫も同じ。すごいね。)

免許が取れたらご褒美に行こうと思っていたけど、

もうしばらくかかってしまいそうなので…(苦笑)

私は美容院がとくいではない。

というか世のエステなるものもあまり…

やっぱり癒されるというより、まだ緊張してしまう。

あまりこだわりがあるわけではないので

ここでというお店がなかなかなくて

その時の気分で予約なしで入ってしまう。

(予約することがすでにダメ…)

初めてのお店 カルテを書いて いすに座り…

さて始まる“身の上話”

「お勤めですか~?」「なにされてるんですか~」「今日はどちらから~」

コミュニケーションなんだと思うだけど

どうぞほっといてください…。

わがままはいいません。ほどほどにしてください。

家族の髪は母が切ってくれていた。

“お客”からの注文ができるわけはなく、まあそれでもそれなりになんとかなっていたので。

初めての“おそと”は高校2年だっただろうか。

男の美容師さんでおしゃべりで…ぐったり。

短いときは自分で切ってもいた。

すき剃刀を使うとなんとかなるもの。

くしゅくしゃっとなった感じもきらいでなかったし。

そんなとき近所のサロンの店先から声をかけられた。

娘の同級生のお母さんだった。

入学のとき先生を質問攻めにする彼女に「ずいぶんと熱心なお母さんだなあ」という印象をもっていたのだが

何度か話すうちに 初めての子を心配するふつうのお母さんであることがわかった。

私より少し“お姉さん”な彼女も お母さんとしては“同級生”

同じようなことを心配していることに笑ってしまう。

彼女のお店に行くときは “身の上話”はいらない。

彼女がいないときでもいつものまま。

彼女のもうひとつのお店にも行っている。

こっちの店長さんは私の“おまかせ”を楽しんでくれている。

ちょっと冒険してみたり、保護者会風(笑)にしてみたり。

ちょっと勇気はいるけれど

楽しいって思えること

まだどこかにかくれているのかもしれない。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

二度の失敗

また一年が終わる。

4月になれば新しいクラス、新しい先生。

子どもたちにはどんな出会いが待っているだろう。

残念ながら私は「この先生に」という先生には

出会わずに来てしまった気がする。

中学校の部活の先生には3年間お世話になったので

私にとっての先生といえばその方かもしれないが…。

小さい頃からどうも私は“ふつう”ではなかったようである。

別に周りを巻き込んでなにかするとかではなくて、

空想好きとも少し違う どうも考えすぎてしまう性だったようで

それでも 自分でそれを“自覚”したいたから

自分の世界に入っていればよかった。

特別出来る子でもないし 出来ない子ででもない感じ。

見た目はいてもいなくても分からない「ふつうの子」だったから。

小学校5,6年の担任はとても熱心な男の先生だった。

初めての男の先生に戸惑いながらも 一生懸命さが伝わってきていた。

学校全体の取り組みで交換ノートのように日記を書いては

先生が一言書くそんなものがあった。

ただ毎日の様子を“ふつう”に書けばよかった。

書くことは嫌いではなかったし 

忘れるというのも気分が悪いのでなにかしら書いていた。

先生の返事を読みながら 

先生という職業もいいのかもしれないなんて思い始めてもいた。

そんなとき つい“自分のまま”書いてしまった。

この人なら大丈夫かなと思っていたのかもしれない。

結果 “失敗”した。

とても熱心な方だった、でも彼が求めていたのは

「ふつう」の子どもの声だった。

彼はやっぱり“感じない”人だった。

話してはいけない人だった。

私が思ったことは 「やっぱりしまっておこう」ということ。

そしてこんな私は教師という職業には

なってはいけないということ。

中学校3年間“ふつう”に過ごした。

私の中でいろいろあったけど、ふつう。

卒業式の後 春休みに訪れた学校で

体育専科の先生が私のことを

覚えていなかったくらい“ふつう”

高校に入ってすぐ ストレスなのかなんなのか

帯状疱疹でしばらく休むことになってしまう。

免疫力が落ちていたんだろうな。

精神的にも不安定な時期だし。

そんなとき やってしまった…どうかしていた

感想文を書く課題に

「親の死を前にして自分は涙を流せるか」と

とうとうと書いてしまった。

(その内容はまたにして…)

自分の病気(なにしろ化け物のような姿であったし)に

叔父の死が重なりいろいろ考えるところがあったのだけれど、

“ふつう”の私の書いたこととしては異質だったのかもしれない。

そして担任の評価は

「自分が繊細だとでも思っているのか 勘違いするな。

おまえはたいした人間でもないんだ。思い上がるな。」

これが二度目の失敗。

もともと口の悪い担任だった。

たいした文でもなかったが なるほど

教師というものに まともに向かってはいけなかったんだ。

あとの時間はとにかく“ふつう”に 

とくに出来るほうでもない私は

それが一番問題ないことだったから。

今 年を重ね 親になり また違う立場になった。 

姉弟げんかの最中 娘がこんなことを口走った。

「先生に言ったってなにもしてくれないし」

とても熱心ないい先生だ。

楽しい授業、親にもいろいろ伝えようとしてくださる。

過労で入院もされた。

同世代として違う意味で心配してしまう。

先生というのは大変な仕事なんだ。

毎日 たくさんの人にさらされている。

こころを休める暇もないだろう。

だから 見失うのかもしれない。 

分からないひとには なんでと思うことに迷っている、

そんな子どもがいることを。

これからのこの子達にいい出会いがありますように。

母としてはそう願うのみである。

今日はちょっと後ろ向き?

でもそんな記憶をたどっていくうちに 

そのうしろに隠れたできごとを思い出してもいる。

そうそれなりにいろんなことがあったんだ。

楽しいこともあったんだ。

ところでこの場所は私の“三度目の失敗”だろうか。

それとも成功なんだろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何を感じて生きているか。

(コメントのかわりに…)

私はじぶんが“ふつう”ではないと思っていた。

というより このなんともいえない感じを

“人とは違う”と思うことでバランスをとっていたのかもしれない。

それはそれなりに居心地がよかった。

自分の中にいればいいから。

大人になるということがどういうことかわからないけれど、

世の中に出ることは“ふつう”になることだったのかもしれない。

「ふつうはさあ」=(常識ないんじゃない?)ってこと?

私が最初に飛び込んだ世界は世の中的には“ふつう”ではないらしい

でもそこにはそこの“ふつう”がある。

次の世界には次の“ふつう”がある。

“ふつう”ってなに?

みんな“感じて”生きていると思っていた。

それなのにこんな世の中で生きていけるなんてすごいって。

感じてしまったことをしまっておくのはとても疲れる。

ずっとそうだったから、なれているつもりではいたけれど

みんなの中にはなにがしまってあるんだろうと

ずっと思っていた。

テレビの中に溢れる“欲”になんで笑っていられるんだろう。

モノにうもれた子どもたちがしあわせにみえるのだろうか。

そしてブームのように自然へ向かう。

そんな人たちは、本物のちからの中になにが感じられるのだろうか

(その大きさを前にして自分がなにを感じるのかもわからないけれど。)

子どもと暮らすということは世の中の“ふつう”の中に飛び込むこと。

ランチ会、親睦会、集まりのたび“子どものため”と足をはこぶ。

でもこの私は“私”ではない。

みんななんで笑っていられるのか。

子どもたちになにが本当だと伝えればいいのか。

みんなは感じないのか。疑問は持たないのか。

考えてしまう私がやっぱり“ふつう”ではないのか。

どうしていいのかわからない時間が過ぎた。

そんなあるとき 気づいた。

“感じない”んだということに やっと気がついた。

なにも隠してはいないんだ、そのまま楽しんでいるんだ。

人のこころの中を探ろうとしたり 自分をしまっておいたり

そんなことは 必要ないんだ。

きっと悩みもあるだろうけれど 

それは私を悩ませているものとはきっと別のものなのだ。

あのままが あの言葉が

彼(彼女)なんだ。

なんだそうなんだ。それだけのこと。

そのままを受けとめればいい。

そう思ったら 楽になった。

みんなにわかってもらいたい。

そう思っていたのかもしれない。

ずっとひとりでいいって思っていたはずなのに。

だれにも会わない日があってもいい。

感じることがいいことなのか 感じないことがいいことなのか。

それはわからない。

でもわたしには「鈍感力」はあまりないらしい。

“気づいている”自分をだいじにしてあげたい。

春のかぜを この肌が感じている。

このかぜは また誰かに春を届けている。

そしてちゃんと誰かが“感じている”から。

それがいまの 私のしあわせかもしれない…

追伸: 庭の桃の花が咲いたら “花びら”見ておきますね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

休みの終り

ホリスティックハーブ療法事典―日常生活の健康と症状にハーブの薬効を生かした決定版

(つづき)

そんな私たちがしなければいけなかったことは ”薬”を手放すことでした。

(これは私たちが”やってしまった”ことなので 必ずしもすべての方にしたほうがいいということではありません。きちんと薬を飲むことで好転していくもの 続けなくてはいけない病状はあると思います。ただこれが私たちの”選択”だったということです。)

ここに来ていただいている方の中には同じような状態のかたもいるかもしれませんが 私はあえて”病名””薬品名”は書いていません。

書いてあることでもっとわかりやすくなることもあるとも思います。でもそれはあくまでも 病院の中の区分でしかないと思っているからです。”病気”は”気が病む”ことです。そしてそれはひとりひとりまったく同じものはないからです。

子どもたちがかかる水疱瘡やおたふく風邪にしても 本の通りにはいきません。熱の上がり方タイミング 腫れ 湿疹 たとえ兄弟であってもおなじにはいきません。そのときにできることをしてあげるだけです。

アトピーにしても今は「ああアトピーね」と母親たちであれば通じてしまいます。それでも私が子どもの頃は アトピー=奇妙な 原因の分からない といわれるようにとても珍しくそれがさらに両親を悲しませていたかもしれないのです。

健康診断で”再検査”通知を受けたことで不調を感じるようになることがあるそうですね。そして不調を訴え”病名がつく”ことで”病気になる”こともある そんなことはないでしようか。不安の中どこかの”規格”の中にいたい その規格の中で癒されもとの生活に戻っていく人も多いでしょう。でも人の体はすべて規格通りにはいかない そして自分に合う規格を探すのです。(私の場合はつねに不調だったので当てはまらなかったのですが…) 

夫の”病名が決まった”ことで 私はいろいろ調べます。もちろん書いてある症状もあります。でも同じでもないのです。

もちろん病院にはいっていました。何もせずに会社を休んでいるわけにはいかないですから。それでも私たちは考えていました。

ちいさな会社です。病気だからとすぐクビになることはないでしょう、だからといって休んでいる人間を抱える体力もなかったのです。でも私たちには時間が必要でした。そこで”傷病手当”という方法をとることにしました。収入は今までの6割、経済的には厳しい それでも そこから「やっと休める」と思えたのです。

薬を手放すといっても この数ヶ月飲み続けたものが「じゃあさよなら」といくわけがありません。減らし戻ししているあいだ 再びゆり戻しと副作用に悩まされます。再びの不眠頭痛 もうずっとこのままではないんだろうか と思う日が続きます。飲み続けることは書いてありますが 減薬の方法はどこにも書いてないのです。

それでも ひとつひとつの変化を感じながら 小さな一錠をいくつにも割って それでもそのひと欠片を減らすことに一週間二週間の時間をかけてならしていくのです。あらためてどんなに薬のちからが強かったのか感じます。

そして バランス。幸いにも夫の薬は二種類 6錠ほど それも早い時期に2錠づつにしていました。それでも同じように減らすことはできず 最後まで 「頭痛は絶えられるけど この不安感はどうにもならない」といっていました。

(早い時期からそれぞれの薬についての効果効能それによる副作用をしらべていましたので、そうでなければ訴えた症状ごとにあと2,3種は増えていたでしよう)

そして少なくなくなればなるほど ゆり戻しが大きくなるようでした。1,2日飲み忘れて「このままいけるか」と思ったとき突然落ちるような感じ。彼曰く「やべまた(体に)ばれちゃったよ…」

こうして経過を書けるのも私が本人ではないからですね。「そんな感じで数ヶ月が過ぎました」と書いてしまえば一行ですが 「いつまでこんなこと…」と思う毎日でした。

そして今は薬は飲んでいません。症状がまったくなくなったということではありません。でもやっと『自分のからだ』が帰ってきた、こんな自分が自分ならこいつと付き合ってやろうと。

やっと今 ゼロに戻ったのです。

薬の話だけをしましたが そのあいだにも 食事 生活習慣 歩くこと マッサージ いろいろなことをしながら 一歩一歩だったのです。(その話はまた…)全部のことを完璧に出来ているわけではありません。それでもいろいろなことにであったことで自分なりに”選ぶ”ことができるようになったのです。

天気の変わり目は体を温め 月が満ちるのを静かに待つ。

気の長い話のようですが 自分のからだはけっして自分だけのちからでできているのではないのですから。いまは少しその声に敏感になっているだけかもしれません。

ゆっくり静かにからだのこえを聞いてみてください。

きっと聞こえてきますよ。  

 

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

長いお休み

(つづき)

彼は休むことを選びます。”前のこと”のことを考えれば 休養することがなにより必要だと判断したのです。それがいちばんの近道になるはずでした。

ところが違ったのです。いっこうに良くなる気配がない それどころかもう動くことも話すこともつらい 頭も体も痛い それが副作用なのか 本当の自分の痛みなのかわからなくなっていました。

そして時間が経てば経つほど”休んでいる”ということが さらに体を休めなくしていました。

本を読みました。(もちろん彼は活字を受け付ける気力もありませんでした。)

はげましてはいけない。重要な判断はさせてはいけない。などなど

そして”薬をちゃんと飲み続けること。”それが家族の唯一できる仕事のように書いてありました。そして私はその仕事を果たすように薬を飲むことを進めました。

数週間ののち 好転しないまま それでも安定したのか 彼は”方法”を探り始めます。

整体、鍼灸 時間をかければなんとかなるかも 今までの自分はそうしていたのだから…答えは 「手に負えませんね」というものでした。

それでもなにか 体を心を鍛えることをさがし 武道の道を探り それでも出会うことはありませんでした。(体験に付き合った私はなかなか有意義だったのですが 彼の思っていた精神性とは違っていたようです。)

そんなとき ある気功の先生に出会うことになります。(そのころには彼が行ってみたいと思うところはどこへでもという気持ちもありました。外出も人と会うことも辛いと思いながらのことですから)

といってもそんな劇的な出会いではなく 普通の治療だったわけですが そこで 痛みが出ていることはいいことだ。という考えに出会うわけです。

今まで自分の中に溜まっていた”毒”が出ようとしているのだから 出してあげなくてはいけない。それはひとによって少しづつ出していく人もいるし こうして溜まりにたまってから一気に出そうとする人もいる。それができないから体だけではなく こころにも無理がきてしまうということ。

そしてそれを妨げていることが”薬”であること。その日にうちに 全部は無理でも半分にするように そしていずれすべてやめるようにといわれます。

おなじように”私にできること”を探していた私も”自然療法”というものにであっていました。

自分の体のことがあるので もともと化繊製品などはいっさい受け付けず 体につけるものはできるだけ自然のもの 食べ物も出来る範囲でしていたつもりでした。

それでも家族 まして夫は健康が取り柄のような人でしたから なにからなにまでとは私も彼自身も思っていませんでした。それでも知れば知るほど思い当たることだらけ 

そのころ彼の体も確実に”感じて”いたのです。それは私にも分かっていたのです。

もう私たちは向かうしかなかったのです。

そしてそれはさらに”長いお休み”の始まりになるのでした。

自然療法が「体」を変える―免疫力が増幅する“クスリを使わない”医学

この本がすべてではありませんが 私たちはここから始まったかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧