好きだとか嫌いだとか

子どもの頃は 

好きだとか嫌いだとかいうのは

若いひとの話で

おとうさんとおかあさんになると

そのうち おじいさんとおばあさんになって

静かにお茶でも飲みながらのんびり暮らすのかなあ。

なんて思って思ってた。

よね。 

でも

それってずっとあるんだね。

いくつになっても 好きだとか。

ちょっと嫌いな日もあるし いじわるなときもあるけど

好きになる気持ちっていうのはずっとある。

いくつになってもね。

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無邪気

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辞書で「天真爛漫」と引くと「無邪気な様子」となった。

子どもの無邪気な様子はなんとも微笑ましく愛らしい。

大人に対しては

うらやましくなる無邪気な愛らしさと

「無邪気だなあ」にみられる平和そうだなあ、

なんにも考えてなくてという2種類あると思われる。

と無邪気分析をしてどうしようということもないのだけれど。

私の場合 一見無邪気そうな風貌(要するに幼い)であるのに

小難しく難癖をつけるほうなのであまりよろしくない。

ぽわ~っとした私のほうだけ見ていた人はこのギャップに引いてしまう。

(できるきれいなお姉さんが“天然”だったりすると

良いギャップだったりするのだろうけれど。)

でも好意をもっている人に対しては

無邪気でありたいと思うかもしれない。

どうしたらその人が元気になれるだろうかと

そのひとのためになるだろうかと

いつもアンテナをはっている。

そうしているうちに相手の気配だけで

次になにがしたいとか、何がほしいとか分かる感じ。

なんだろう、恋とも違うよね、

でも好きなんだろうけど。

だから 自分は元気であろうと思う。

元気な自分、幸せな自分を見てほしい。

そして元気になってほしいと思う。

同性のときはそれは尊敬に転化されたりするのかもしれないのだけれど。

異性の場合は やはり恋愛と行き来してしまうかも。

恋愛にしてしまうと アンテナにノイズが入ってしまうので

ただの無邪気さではいられなくなるし

それは自分の求めているものではないし

きっと相手も…?

大人の女の子は 

誰の腕でも自然につかんだりはしないのです。

恋の始まりのような気配を感じつつ

はじまってはいけない恋もあるなら

このまま無邪気であろうと思うのです。

心のとびらを開けてしまったら

無邪気なだけではいられないから。

せめて笑顔でいたいのです。

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ヌクモリ

最近よくメールを送ってくる。

だいぶガタがきていたことと なにか新しいことをして勢いをつけたいこともあって 機種変更をしたのしたものの いちばん体がつらい時期だったこともあってしばらくそのままになっていたもの やっと要領を得たよう。

といっても多すぎる機能を全部使えるはずはなく おそろいで買って分からないところを聞く。発見したらためしに使ってみる そんなところ。

日記を書くことをすすめて いるのだけれど、頭に浮かぶスピードに文字が追いつかないのが 落ち着かないらしくあまり進んではいない様子。

それが最近やけにメールをしてくる。

書くことよりさらに時間がかかるのに とは思うのだけれど 少しづつ言葉を選んでいる時間がよいらしく じっくり向かっているようす。

ただ”日記”ではなく一応”メール”なので やはりこちらも何か応えたいとも思うし こちらからも伝えたいとも思うのだけれど…

自分にむかって問うてみて きっとその時その時のこたえはきっと出ているはず。たとえ次の瞬間変わってしまっていても じぶんのなかでは決まっているはず。

あちらが人生について語っているときに こちらは子どもの箸の持ち方を注意していたり こぼしたおつゆを拭いていたり…

大事なことを語り合っているはずなのにどこかずれている気がする。

子どもにだって「あなたが大事なの」って何百回ことばで伝えるより ぎゅっと抱きしめてあげるだけでわかることがある。

おとなだってそうじゃない?

離れていても思うことはできるけど  そのあいまいなことをたしかめたいから ぬくもりが必要ではないの。

それで分かることがあるのではないの。

それがどんなこたえでも。     

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必然ということ

今 ここにあることは すべて”必然”である。

といっても なんかむずかしいことでなくて 今はそう思えるかなってこと。

彼と初めて会った時 私は”この人とは一生付き合っていくんだ。”という確信とも言える予感があった。

といっても”恋におちた”とか”この人ときっと結婚するんだわ”なんてどきどきした感覚ではなくて なんか ”気配”みたいなかんじ。

そのあと彼がどのように感じていたかはわからない 仕事場でもあるし 上下の差もあることだから ”立場”をわきまえた関係ではあったけれど お互い 認め合っていたし 尊敬できていたと思う。

同僚たちと女の子の話をしているのを聞けばやきもちを焼かないでもなかった 

でもそれはそれはそれ 少し離れて見ている感じがとても心地よかった。

彼が最初の”旅”に出ようとしたとき 二人の距離のバランスが崩れてしまった。

彼が必要としてくれていることはわかっていた。 

それは彼の飛び立つための力ではなく 彼の心を閉じ込めてしまったようだった。

”旅”から疲れ果てて帰った彼を私は 少し離れて見ていた。

なにも考えず抱きしめてあげたら どんなに楽だったろう。

なにもかも捨てても守ってあげることもできたもかもしれない。

でも私はそうはしなかった。このまま縋りあえば 心の病んだ男と尽くす女。それはきっと彼の心にずっと残ってしまうと思ったから。 

彼はふたたびたったひとりで”旅”出た。ぼろぼろのまま…。

帰ってきた彼はいろいろな人に出会って また歩きはじめた。

いくらかの時間をひとりですごし いくらかの寄り道をし そしてもう一度出会ったとき 

自然に”家族”になることを選んだ。

そしてもう一度 彼は”壊れる”ことになる。

でも今度は違うから、今度はだれはばかることなく 縋りあって 支えあって いっしょにいればいい。

私たちだから出来ることをしていけばいい。

今度はふたりで新しい”旅”に出ればいい。

今はまだその途中だから…。

そしていま ここに来てくれている方との出会いも”偶然”ではなく”必然”です。

そこにいてくれる それが私の力です。ありがとう。

 

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