年齢相応に
:
なんとなく“ここではない”かんじ。
なんていうと“ここ”楽しくないのかよ!と失礼なはなし。
楽しくないのではなくてね。
背伸びするわけでもない。未だ大人の自覚が無いし。
でも若くもない。
何もこわくない、不死身な無限な時間の中にはいない。
いや そんなもの感じたことはないかな。
こどものころからいつも“終わり”ばかり想像してたし。
お酒はおいしい。はなしも楽しい。
でも 話そう話そうとしてる自分は
やっぱり違うのかもしれないのかな。
ものごとは長さじゃないよ。濃さだよっていうけど
やっぱり「時間の重なり」だと思う。
どんなにいそいでごしごし磨き上げようと思ったって
10年20年気づいたときそっとなでただけだって
そのなかにはそれだけの時間に包まれている。
たぶんみんなはその時間の中にいて
ごしごしやってる自分がいる。
でも無心にもなれなくて 早く早くそればかり。
誰かと比べてごしごし磨いたってそれはそれだけものも
でもいつもまにか何年もいっしょに過ごしたものがある。
ある。
:
いろんな人に会う。みんなすごいなあ。
その人の年齢に自分ってなにしてたんだろう。
ああ、もう子育てしてたわ。
子どもがいなければ 結婚しなければ
そんなことはないよね。できるひとはできる、なにがあっても。
しなければ、なんてことはない。
今は 今までの自分がいたからここにいる。
どんどん新しいことおもしろいことに出会う毎日ではないかも
でも毎日おんなじではいてくれない人といっしょにいる。
「来年になったらね」
なんて
来年になったらまたひとまわり大きくなったからだと
一年分いろんなこと抱えたこころで
全然違うものが見えるんだろう。
:
畑の帰り、すこし寄り道をして海へいったよ。
来年、再来年 もう私を追い越してしまうだろう。
4人で海なんてあと何回あるんだろう。
:
酔っ払ったフリをして大騒ぎの真似しても
ちゃんと子どもの寝床の確保したりお風呂の支度して
二日酔いなんてなんだろうって
ザゴ寝の祭りのあとも ふだんとかわらず
起きてくる“おかあさん”な人たち。
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年齢相応に分相応に
今したいことと 今できること
背伸びしないで
でも時にジャンプして
:
なにができるだろう。
夏休み。
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