そら
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いつも仮のすみかだった。
父の転勤で いつも団地か借家。
東京にでてからも更新には縁がなかった。
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家族ができた。
そして気づいたら私のこの10年のほとんど
半径数キロのなかにいたことになる。
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だから別に つらかったとかでなくてね。
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川が近くて 電車の音がかぜにのってきたり
子どもの背丈をこえたとうもろこしの葉がゆれてたり
おかず交換したおさらがとなりから帰ってきた。
今年の神社のまつりは太鼓を張り替えたから
音が違うらしいぞとか。
:
いつもいつも“仮”のつもりでいたのに
いつのまにか どこよりながく
どこより知っている場所になっていた。
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いつでも飛び出していく準備はできていると思っていたのに
なんだかいとおしくなってしまって
もうすこしここにいるかなあ
なんて
思ってしまう今日このごろです。
:
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畑がひとつふたつと消え
お気に入りの大きな木のおうちが 組み立て家具みたいな家たちに変わっても
ちいさなてをにぎって歩いた道を憶えているので。
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縁側にすわって見上げるおおきなそらが
うれしいです。
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:
::
いまどこかへいくのならイサドさんちの
チクチク村いいかも
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コメント
<ちいさなてをにぎって歩いた道
なんか、キュンときました。
息子と手を繋いで歩くのが当たり前の毎日。
こんな毎日も、あとどれくらい続くのかな。
もうすぐ、私の手を離れ、どんどん自分の道を歩んでいくんですものね。
小さなことも愛しく感じます。
投稿: ゆう | 2007/06/24 22:29
昨日またあたらしい小さなおともだちができました。
二歳の男の子はなにをするのも元気でかわいい。
半年の女の子はもうふわふわ。
抱っこさせてもらった夫は「もういいっていうほどだいてたとおもうんだけどな~やっぱりいいな~」と大きくなった娘を見てました。
ちいさいときはほんの一瞬ですね。
わたしたちにできることはその短いじかんをいっしょにいて憶えておくことでしょうか。
それがあればずっと大丈夫な気がします。
投稿: kicco | 2007/06/25 05:52