涙
:
親の死に向かいあったとき
私は涙することができるだろうか。
:
:
ずっと考えていることだけれど
一度失敗しているので やはりあまり語ることではないのかななんて
ひとりごとだからいいか…
:
両親を尊敬しているし感謝している。大好きだ。
でも素直に向かっていけない。
親への思いが強すぎるのか。
長女というものは大体そうなのか。
それとも私が勝手に思いすぎているだけなのか。
:
高校卒業とともに家を出た私
そして今 両親といた時間より
夫と出会ってからの時間の方が長くなろうとしている。
引越しの多かった私
ここでの生活がどこよりも長くなった。
:
そして親元に残った妹は
私とはまったく違う生活をしている。
:
音楽をやったことも写真のことも
それはそれで私だけれど
どこかで父とつながっていたかったのかも。
:
祖母が亡くなった。
末っ子でありながら後をとるために長子の養子となっていた父は 喪主をやることになった。
遠方から集まった伯父伯母たちはまるで同窓会のように談笑していた。
読経が流れているときでさえ。
自分達の親の死なのに。
両親といっしょに最後を看取った妹は 泣き通しだった。
田舎のこと葬儀屋さんまかせということもない
何もかも自分達 地域の年長の方に聞きながら気をつかい 休む暇もない父がいた。
そんな両親と妹を見て 泣くこともできず
悲しんでいるのかもわからない
居場所のない私がいた。
:
両親が亡くなったとき私はどんな姿を見せるだろうか。
自分にはわからなかった。
:
昨年 母方の祖母も亡くなった。
私にとっての「おばあちゃん」はこの人だった。
私におじいちゃんはいない。
私の記憶の中 祖母はいつも働いていた。
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叔母と二人姉妹の母。
地元に残っていた叔母が喪主ではあったが
すでに父の母を見送っている母があれこれ段取りをして進めていた。
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通夜までに間に合えばと言われたが
母の指示で子ども達をこちらに残していくことにした私は
このまま一晩待つことも もどかしくて
そのまま羽田に向かった。
:
最終のキャンセル待ちで向かったので
迎えに来る妹には怒られてしまったけれど…
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つめたくなった、でもまるで息をしているように美しい祖母のそばで
母と枕をならべた。
夫も子どももいない娘の時間。
私の記憶の中では 生まれて初めてかもしれない時間。
:
一夜明けて
近所のお手伝いをお願いをしなかったので
私達は裏方。
妹は車を出し 私は水まわり 姪っ子たちのお守りをしながら
遥か昔の記憶をたどりながら親戚の方と話す。
(妹の生まれる前の話しにつき これは私の役…)
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ただあわただしく 火葬場へ向かう。
留守のお願い 食事の準備 電話をしながら…
そして
窯のの扉が閉じられたとき
涙が出た。
:
後から後から涙が出た。
:
白く小さくなったおばあちゃんは
足のボルトもペースメーカーも置いていった。
:
手術を繰り返しながら おでかけが大好きな祖母だった。
いつ電話しても留守。そんなときは美術館とか。
いまは自由に羽ばたいているかもしれない。
:
ずっと遠くだと思っていた。
でもだんだん近づいている。
涙は 悲しいではなくて
ありがとうってことなのかもしれない。
そのときになってみないと分からないけど
ありがとうなら 言えるかもしれない。
:
今ここにいさせてくれることに
ありがとう
:
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コメント
涙は、目に滲みこそしましたが、流れることはありませんでした。
ただ、すべてが陶器の壷に入ってしまった父親を、今日は誰にも渡したくなくて、ずっと抱え込んでいました。
縁のひとつもある土地ならまだしも、何故こんなところに居たの?と問い掛けたけれど、もはや答えを返してくれませんでした。
投稿: 河童 | 2007/04/02 19:54
地元に残る妹、長男である弟。
そのときになっても私は抱え込むことも出来ないでしょうね。
それが家を出るということでしょうか。
投稿: kicco | 2007/04/02 21:45