OFFになる。
:
CDはあまり買わない。
ふた昔前くらいならジャケ買いなんていうのもあったかな。
今はなんていうの?いっぱいあってわからない。
:
今はなんだか ものだけじゃなくて音も溢れてて
次から次へと新しいモノ
なんでも手に入るようで なにがほしいのかもわからなくて。
なんだかいろいろあるらしいけどアナログなもので
ほとんど“音”はラジオまかせ。
:
いつでもどこでも好きなのもが聞けるよって
ヘッドフォンして歩いて楽しい?
風の音も 木々の音も聞こえなくて
電車のごとごとする音も
街のざわざわした感じ 楽しくないときもあるけれど
それもひとがいる音だって気がする。
:
そこにある音ぜんぶが入ってくるから
気持ちよくなったり 苦しくなったり 心が動くのではないかななんて。
:
誰のなんの曲が好きとかない人。
ちょこっと楽器はやっていたので 聞きなれたのとか
安心できたりするけど
そのとき心地よい感じが好き。
:
ほんと曲名も人も知らなくて申し訳ない。
子どものころ 車では父がJAZZを流してて
私は レコードに針を落とす瞬間が好きだった。
私にとって 音はフツウに流れているもので
探すものではなかったもので。
:
おとなになったらライブなんかいって なんて思ってたけど
お出かけするだけでどきどきしてしまう。
そんなままおおきな大人になってしまったね。
:
会えないと思うときには何も会えない。
でも会いたいと思うときは出会ってしまうものなのかもしれない。
:
「花市」にいった。
桜の花びらの舞う中で 見つけた。
:
「OFFになれるって分かったよ」彼の言葉。
何年もONのままだった。
それでも走れていたときはそれでよかった。
でもいつのまにかふかしてもふかしても前に進めなくなって
立ち止まることも休むこともできなくて
眠るときでさえ 眠らなくてはいけなかった。
:
achordionのライブを聴いて。
桜の舞う風の音を聴いて
まっすぐに集まる暖かいひとたちのこころを感じて
心地よいという言葉ではたりない…
ただ力を抜いて 音の中に身をゆだねる。
そこにいるだけでいい。
「OFFになれる」
:
ONの自分 OFFの自分
自由自在にはまだまだいかないけれど
ゆっくりゆっくり歩くように。
OFFになれる自分を見つけられたんだから
一歩一歩進んでいける。
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会いたいと思えば 出会える きっと。
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なのでひさしぶりに家でCDをかけています。
“宝物”見つけたので。
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achordionさんからお写真okいただきましたので少しだけご紹介します。
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コメント
自分も、今の職場に勤め始めてから、ラッシュの電車の中でせめて周囲との”壁”を作るためにiPodを買いました。今では時折、街を歩きながらも聴いちゃってるけど。
でも、相反するようだけど、自分が嫌いなもの。
ヘッドフォンをつけて歩くひと。
携帯を眺めながら歩くひと。
要は、意識が分散しているので、”空気を読めてない”。
ひとをそっと避ける配慮とか、歩くペースとか、そういうちょっとした判断に必要な意識が、吸い取られてしまっている。だから、そこに居るのは”ひと”なのに、”物”でしかない。
あれはよくない。
それとも、そんなことを思うのは自分だけ?
投稿: 河童 | 2007/04/22 08:47
このことは それだけで記事が書けてしまいますね。(苦笑)
気配の感じられないのは 不安ではないのでしょうか?
うちにiPodがないのもそんなわけ。
“ひと”は疲れもさせるけど 優しさもくれるから やっぱりつながっていたいよね。
投稿: kicco | 2007/04/22 20:49