存在価値
:
ついそんなことを考えてしまいますね。
やりたいことはなんなの、なにがしたいのなんてことを まだ考えている私たちとしては…。
:
存在価値とはなんでしよう。
必要とされること?だれに?
自分にはなにができるのだろう。
いままで自分の”存在価値”だと思っていたものを失くしてしまったとき 迷子になってしまうのですよね。
自分の中から湧き溢れてくるものがあれば なんの迷うこともないのでしょうけれど、そんな熱いものがあるかというと どうなんでしょう。
これまで自分が自然に感じてきたことにあらためて気づいて向かっていきたいという思いはあるのです。
だけどだからそれが誰かに必要とされているの。なんてことを考えてしまうから揺らいでしまうのでしようね。
幸せすぎることが不安にさせる ひとというものはつくづくややこしい生き物ですね。
:
ずっと迷子だった私の存在価値は
いま”ここにいること”のようです。
彼に出会い 私の”存在”を見つけてくれたこと それだけで十分だったのです。
子どもたちに恵まれ”母”としての”存在価値”を得ることができ素敵な時間を過ごすことができました。
でもそれもそんな時間もそう長くはないでしょう。
彼女たちもじきに”自分探し”に旅立ってしまうでしょうから。
だからいまからこころの準備をしなくては いけませんね。
そのとき 私がちゃんと”わたし”でいられるように また迷子にならないように。
そのときは もう一度見つけてもらおうかな。なんて。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
この記事を読んで、私としては相当深く「存在価値」について考えました。
自分の存在価値、あるのかな、なんて。
ややこしくなって、結局何がなんだか判らなくなってしまいました。
ただ、今回判ったこと。
自らの存在価値は、”職場”という一過性の関係の中ではなくて、自分を自分として理解してくれている、個人的な関係における人間が認めてくれるものであること。
そして、本人が思っているより、たぶん周囲はきちんと自分の存在を認めていてくれているということ。
投稿: 河童 | 2007/03/04 22:43
親でも兄弟でもない
見えない でも自分たちしかわからないなにか
ここがあなたの居場所なんだよっていわれたような。
だからここにいられる。
だから少しやさしくなれる気がする。
投稿: kicco | 2007/03/04 23:53