二度の失敗
:
また一年が終わる。
4月になれば新しいクラス、新しい先生。
子どもたちにはどんな出会いが待っているだろう。
:
残念ながら私は「この先生に」という先生には
出会わずに来てしまった気がする。
中学校の部活の先生には3年間お世話になったので
私にとっての先生といえばその方かもしれないが…。
:
小さい頃からどうも私は“ふつう”ではなかったようである。
別に周りを巻き込んでなにかするとかではなくて、
空想好きとも少し違う どうも考えすぎてしまう性だったようで
それでも 自分でそれを“自覚”したいたから
自分の世界に入っていればよかった。
特別出来る子でもないし 出来ない子ででもない感じ。
見た目はいてもいなくても分からない「ふつうの子」だったから。
:
小学校5,6年の担任はとても熱心な男の先生だった。
初めての男の先生に戸惑いながらも 一生懸命さが伝わってきていた。
学校全体の取り組みで交換ノートのように日記を書いては
先生が一言書くそんなものがあった。
ただ毎日の様子を“ふつう”に書けばよかった。
書くことは嫌いではなかったし
忘れるというのも気分が悪いのでなにかしら書いていた。
先生の返事を読みながら
先生という職業もいいのかもしれないなんて思い始めてもいた。
そんなとき つい“自分のまま”書いてしまった。
この人なら大丈夫かなと思っていたのかもしれない。
結果 “失敗”した。
とても熱心な方だった、でも彼が求めていたのは
「ふつう」の子どもの声だった。
彼はやっぱり“感じない”人だった。
話してはいけない人だった。
私が思ったことは 「やっぱりしまっておこう」ということ。
そしてこんな私は教師という職業には
なってはいけないということ。
:
中学校3年間“ふつう”に過ごした。
私の中でいろいろあったけど、ふつう。
卒業式の後 春休みに訪れた学校で
体育専科の先生が私のことを
覚えていなかったくらい“ふつう”
:
高校に入ってすぐ ストレスなのかなんなのか
帯状疱疹でしばらく休むことになってしまう。
免疫力が落ちていたんだろうな。
精神的にも不安定な時期だし。
:
そんなとき やってしまった…どうかしていた
感想文を書く課題に
「親の死を前にして自分は涙を流せるか」と
とうとうと書いてしまった。
(その内容はまたにして…)
自分の病気(なにしろ化け物のような姿であったし)に
叔父の死が重なりいろいろ考えるところがあったのだけれど、
“ふつう”の私の書いたこととしては異質だったのかもしれない。
そして担任の評価は
「自分が繊細だとでも思っているのか 勘違いするな。
おまえはたいした人間でもないんだ。思い上がるな。」
これが二度目の失敗。
もともと口の悪い担任だった。
たいした文でもなかったが なるほど
教師というものに まともに向かってはいけなかったんだ。
あとの時間はとにかく“ふつう”に
とくに出来るほうでもない私は
それが一番問題ないことだったから。
:
今 年を重ね 親になり また違う立場になった。
姉弟げんかの最中 娘がこんなことを口走った。
「先生に言ったってなにもしてくれないし」
:
とても熱心ないい先生だ。
楽しい授業、親にもいろいろ伝えようとしてくださる。
過労で入院もされた。
同世代として違う意味で心配してしまう。
先生というのは大変な仕事なんだ。
毎日 たくさんの人にさらされている。
こころを休める暇もないだろう。
だから 見失うのかもしれない。
分からないひとには なんでと思うことに迷っている、
そんな子どもがいることを。
:
これからのこの子達にいい出会いがありますように。
母としてはそう願うのみである。
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:
今日はちょっと後ろ向き?
でもそんな記憶をたどっていくうちに
そのうしろに隠れたできごとを思い出してもいる。
そうそれなりにいろんなことがあったんだ。
楽しいこともあったんだ。
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ところでこの場所は私の“三度目の失敗”だろうか。
それとも成功なんだろうか。
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