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おふろの記憶

夫と娘がおふろに入っている。

クラスでいちばん小さく幼いといってももう5年生である。微笑ましく思えばいいのか 母親の立場からとすれば ”そろそろ年頃なのだから”とでもいうころなのだろうか。

私には”おふろの記憶”がない。

ものごころついたときには ひとりで入っていたと思う。親たちも下に続く弟妹たちのことが大変だったのだろうとずっと思っていた。自分のことは自分でする子だったのだろう。

中学生のころだっただろうか 偶然脱衣所で風呂上りの父に出会ってしまった。そうそのとき初めて私は親と入浴の記憶がないことを自覚してしまったのである。

幼い頃からのアトピーはその年頃にはますますひどくなり 制服のブラウスも血ではりつくような毎日 入浴そのもの苦痛。それでもせめて少しでも清潔にしなければとの思い。

修学旅行も合宿もお風呂を楽しんだ記憶はない。

東京に出て 最初の住まいは風呂なしの学生用下宿だった。

初めて出かけた銭湯はまったく別の世界だった。

小さな子どもが走り回り タオル一枚のお年寄りが番台のおばさんと世間話をしている。

だれも私のことなど気にする風でもなく それぞれその時間を過ごしているようだった。

銭湯に行って こうやっておふろに入るんだと習った気がした。ほんとうならどこかでちゃんと積み重ねてきたはずのものを私は持っていなかったのかもしれない。

月日は流れ子どもが生まれた。忙しいながら夫はよく子どもたちをふろに入れてくれた。それはまた父と子の時間になり 私の居場所ではなくなった。

子どもも大きくなってきたこと 仕事も忙しくなって帰りが遅くなってきたこと 私も子どもと入った後夫を待っているのもなんだか だんだんにそれぞれで入るようになってきた。

そんなふうにしばらくが過ぎ 彼は壊れてしまった。

それまでもおあそびのようなマッサージはしていたが とにかく体にいいと言われるもの

それよりなにか刺激を与えていないとこのまま何もなくなってしまうような気がして なにかなにかとさがしていた。体を温めたほうが良いというので お風呂でもさするようにマッサージをくりかえした。 そのせいかほかの理由かはわからないが だんだんと体調ももどってきた。それにつれ子ども達も父の元へ集まるようになった。

最近夫と二人でおふろに入ってみた。二人はいれば満員の小さなお風呂だけれど「ずるーい!」といいながら子ども達もやってきた。

これが私のあたらしい記憶になり 子どもたちの”おふろの記憶”になるのだと思う。 

 

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