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からだのちから 私のこと

自然に暮らすということで 私たちが薬(西洋医学)を極力さけているのは コメント等々で少しづつお話しています。

でもまったく”世の中”を否定しているわけではないので 誤解のないように 少しづつ私たちのことお話していきますね。(一度では無理なので ぼちぼち です)

私はものごころついたときにはすでに ひどいアトピーでした。

両親もいろいろこころを痛めてくれていたようですが 娘の年頃には 薬でしのぐことしかなかったのです。

夏でも長袖を着(見せたくないということもありますが すでに弱っていた私の肌は強い日差しにも水泡をつくるように もう疲れていたのです) そのブラウスさえ 掻き傷の血がいつもにじんでいました。

体を動かすことがいやだったわけではありません。ひとりで走ること プールに浮かぶことは好きだった。でもそのあと流れる汗が傷に沁み 塩素にやられた肌は悲鳴をあげる。

「年頃なったら治りますかねえ」という医師のあいまいな答えに 早く大人になろうとしていたのかもしれない。中学、高校と続くこの生活に 「ストレスかしらねえ」というあいまいな答えを抱えて。

そして私は一人暮らしを始めた。

(よほど信頼してもらっていたのか それともこの気難しい娘を手放したかったのか なんて考えてもしょうがないけれど 少なくても弟妹がいるなか 私を外に出すことは経済的にもとても大変だったと思うので感謝している。)

そして 初めての場所、人に戸惑いながら 自分と暮らしていた。銭湯にもいった。家賃を払い 今晩のごはんと印画紙を天秤にかけていた。

そして 少しづつ体が変わってきた。頭痛、肩こりは変わらなかったけれど(というより人に言わせるぱんぱんという状態しか知らなかったので こっていない肩はわからなかった) 少なくとも ”血がにじむ”生活ではなくなった。

あのころ若い女の子たちがしていたような格好はとうてい無理だったけれど 私にとっては 信じられない進歩だった。

そしてなぜか帰省するたびに”復活”。「東京の水が合うのかねえ」といわれつつ、やっぱり”ストレス”というあいまいな答えにもどされていった。

限られた仕送りの中 薬代に使うのももったいなくて 友達の誘いよりも フイルム代に使った。

仕事を始めた頃 また”復活”した。でもその頃 同級生の目を気にする女子高生ではなかったし ”それどころ”ではなかったし、でも今思えば それが東洋医学的に言う”瞑眩”(めんげん)だったのかもしれないかも。

それでも生活そのものは変わらなかったから 完全になくなったわけではなかったけれど、季節の変わり目 疲れ そんなことで”付き合っていけそうかな”と思えるようになってきた。

夫はこんな私を知っている、結婚して子どもを産んで どんどん楽になっていく私の体に「俺のおかげだな」なんて言っていたこともある。

それが”壊れる”ことになる。それも夫が。 

彼のからだを考えること、それが私自身のことを考えることになった。

それが 自然に暮らす といくわけではあるが…

”肩がこってきた”ので 続きはまた。

       

 

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