長いお休み
(つづき)
彼は休むことを選びます。”前のこと”のことを考えれば 休養することがなにより必要だと判断したのです。それがいちばんの近道になるはずでした。
ところが違ったのです。いっこうに良くなる気配がない それどころかもう動くことも話すこともつらい 頭も体も痛い それが副作用なのか 本当の自分の痛みなのかわからなくなっていました。
そして時間が経てば経つほど”休んでいる”ということが さらに体を休めなくしていました。
本を読みました。(もちろん彼は活字を受け付ける気力もありませんでした。)
はげましてはいけない。重要な判断はさせてはいけない。などなど
そして”薬をちゃんと飲み続けること。”それが家族の唯一できる仕事のように書いてありました。そして私はその仕事を果たすように薬を飲むことを進めました。
数週間ののち 好転しないまま それでも安定したのか 彼は”方法”を探り始めます。
整体、鍼灸 時間をかければなんとかなるかも 今までの自分はそうしていたのだから…答えは 「手に負えませんね」というものでした。
それでもなにか 体を心を鍛えることをさがし 武道の道を探り それでも出会うことはありませんでした。(体験に付き合った私はなかなか有意義だったのですが 彼の思っていた精神性とは違っていたようです。)
そんなとき ある気功の先生に出会うことになります。(そのころには彼が行ってみたいと思うところはどこへでもという気持ちもありました。外出も人と会うことも辛いと思いながらのことですから)
といってもそんな劇的な出会いではなく 普通の治療だったわけですが そこで 痛みが出ていることはいいことだ。という考えに出会うわけです。
今まで自分の中に溜まっていた”毒”が出ようとしているのだから 出してあげなくてはいけない。それはひとによって少しづつ出していく人もいるし こうして溜まりにたまってから一気に出そうとする人もいる。それができないから体だけではなく こころにも無理がきてしまうということ。
そしてそれを妨げていることが”薬”であること。その日にうちに 全部は無理でも半分にするように そしていずれすべてやめるようにといわれます。
おなじように”私にできること”を探していた私も”自然療法”というものにであっていました。
自分の体のことがあるので もともと化繊製品などはいっさい受け付けず 体につけるものはできるだけ自然のもの 食べ物も出来る範囲でしていたつもりでした。
それでも家族 まして夫は健康が取り柄のような人でしたから なにからなにまでとは私も彼自身も思っていませんでした。それでも知れば知るほど思い当たることだらけ
そのころ彼の体も確実に”感じて”いたのです。それは私にも分かっていたのです。
もう私たちは向かうしかなかったのです。
そしてそれはさらに”長いお休み”の始まりになるのでした。
この本がすべてではありませんが 私たちはここから始まったかもしれません。
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