« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

ところでマクロビ

Organic Base マクロビオティックと暮らす

マクロビオティックのこと 

よく知られているのが 食事法。

玄米を主とした穀物を主食とし 副菜には野菜、豆、海藻類など その土地で取れた旬の食材を まるごと(葉、皮まで)いただく、

そのために 可能な限り オーガニック(有機栽培)の食材を使う。

肉、乳製品など動物性のもの 白砂糖 小麦粉など 精製されたものをできるだけ避ける。

というようなものですが(詳しい方あまりにだいたいですみません。)

考え方としては、人間(身)も、生まれ育った環境(土)とひとつ(不二)、という「身土不二」の観点からながめる自然の調和、恵みである食材を

命あるものはすべて丸ごとで調和が保たれているという「一物全体」の考え方でいただく。

自然の恵みに感謝しつつ その食べ物で体を調えること。

食べ物を含め世の中のものにはすべて「陰陽」があり どちらに偏ってもそれは 悪い影響を及ぼすということがあり

できるだけ「中庸」を目指しながら 「陰」と「陽」バランスよく 心地よい生活につとめるということでしようか。

(音楽にも「陰陽」があるそうですね。そのときの自分で心地よいものが違うように ”感じる”のだそうです。)

どこまでが完全というのか分からないけれど いままで自分たちがなんとなくしていたことに 説明できそうな名前がついて さらに むかっていく方向が少し見えたような感じ。

といっても マクロビ限定ということではなく いろいろな自然のちからを感じながら

心地よいものにかこまれ 体の声を聞きながら 無理なく暮らしていくということでしょうか。

THE マクロビオティック

たびたびではありますが マクロビオティックには広い考え方があって とっても 私が ちょこっと説明できるものではありませんので、ご了承くださいませ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

食べないという選択

少し体が重い。理由は分かっているので調整しよう。

このところ子どもと私だけの食事が多くなってしまっている。

すこし食べすぎの感はあるものの 子どもだけ食べなさいというわけにもいかないので…ということ。

世の中全部”食べすぎ”なのだそうだ。

ものが溢れ 大人も子どもも 空腹ということがない。

(かたや今日食べるものもない人たちがいるというのに…)

健康ブームだとかで ”体にいい”となれば さらに「食べなくては」という気持ちがあおられ「食べなかった」ことが健康を損なうような気になり 満腹の体にさらに詰め込んでいる。

そうでなければ すきなものをすきなときにすきなだけ 勝手なものだ。

そんなときに たまたま図書館にあったこの本を読んで 彼が考えてしまうことになる。

それまでも いろいろ食に関する本は読んでいたが 医学書のように 勉強しなくてはという気持ちが大きかったのだと思う。

40歳からの元気食「何を食べないか」―10分間体内革命  

それまで 何を食べれば元気になれるのか。(もどれるのか)と考えていた彼にとっては衝撃であり 反省だったようである。

(今はもちろんやめた)煙草、お酒も人並みだし 家庭もあることだからそうそう悪い生活はしていないだろう。

体が悪くなったのも 仕事が忙しくなったこととそれにともなう人間関係、

そういえば最近PCやりすぎ、運動不足か…

なんて自分なりに納得し まずは休養と体力作りでもと考えていた彼にとってまったく考えていなかった”原因”が突然あらわれたのであるから。

昼食は弁当持参だったので”外食”という意識はまったくなく、それでいて

朝から晩まで日に何回も飲むコーヒー、さらに残業の空腹を紛らわす缶コーヒーに菓子パン、甘い菓子、それでも”きちんと”と夜中の食事。

自分の希望でしていたパン朝食、肉中心の食事。

それすべてが食べすぎであり胃を疲れさせさらに”冷やす” 

結果 体もそして”こころ”まで疲れさせてしまうというのだから。

”犯人”の姿が見えたことで もうひとつの霧も晴れたようである。

働きすぎなのか?こんなにやったのに=なんでみんなやってくれないんだ

どうして自分ばかりこうなるんだという疑問であり憤慨。

そんな考え方が少し変えてみれば

たしかに 立場的に人間関係も難しいし PCも多少人より多いかもしれない 不規則な生活は同じだし、(いや彼らのほうが 家庭のない分休日もかまわずもっと見た目”不健康な生活”かもしれない)

でも考えてみると彼らは”食べていない”のかもしれない。そして食べている自分が 食べることを心の豊かさであるように勘違いしていたのかもしれないと。

ちょっと荒療治だったかもしれないが 今までの自分の生活をそして他の人の見方を改めて振り返ることになったようだ。

そしてその流れから自然に彼も食養生やマクロビオティックなどの考え方を受け入れるようになる。(なにせ不調の”心当たり”がありすぎたので…)

すぐにすべて実践できるわけでないにしても、缶コーヒーをやめてお茶のポット、おやつ用に玄米のおにぎりを余分に、食欲がなければ少し量をひかえてからだの声に耳をすませる。

すっかり肉も乳製品も姿をみなくなったが そんなことを楽しんでいる風でもある。

食事というものは やはり自分の生活 考え方をうつしているのだと思うので、彼なりの”認知療法”だったのかもしれない。

少なくても彼は”食べなくてはいけない””(昔のように)食べるのだ””食べないことが悪くしている。”からやっと離れ ”(たくさん)たべなくてもいい”そのうえで 

必要のものだけ”選ぶ”という自由を得たようである。 

きっかけは彼のことではあったが 私のアトピーが良くなったのも 考えていけば

一人暮らしをすることで からだに必要な量だけ 取ることが出来たこと 

実家に帰ると悪化するのも 私に良かれという両親の思いだとしても ようするに”食べすぎ”

そういえば核家族だった我が家は昔から 肉 小麦 砂糖の多い家だった。(その分田舎なので野菜も豊富ではあったにしても)

子どもが生まれ 食事に気をつける 家族には食べさせるにしても なんとなく朝食を控えるとか 自分なりに”調整”できていたのかもしれない。

この正月はこれをふまえての里帰りだったので まったく悪化することもなく楽しく過ごすことができた。

(あいかわらず肉も菓子も勧めはするものの 彼のために食事に気をつけていることを伝えたので問題なく。

ただあちらの食生活にまで口は出せないので、娘としては まだまだ複雑)

自分から言わなければ 言っても あれほど ひどい肌だったなんて信じられないだろう。

不思議なことのようでもあり それでいてやっぱり パズルのピースがひとつづつはまっていくように だんだん絵が見えてきている気がする。

「病気になってよかった」とは良くなった人の話ではあるけれど

こんな私であったので 彼のことも自然に受け入れられたし 彼も病気をしたことで 私のこれまでを 少し感じられたようである。

だからまだ終わりではないけれど とりあえず「よかった」のだと思う。

  

 

  

 

 

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

絶叫マシン?

今日 初めて教習車で路上を走った。

それだけのことなんですけどね。(苦笑)

スキースノボはもちろんやらないし 遊園地もしばらくごぶさた。

とろとろ自転車がやっとです。

酔いやすい性質なんでと 助手席が定位置。

カーナビなしでもご案内できるほど 地図の見方はおまかせだけど、

たまにうとうとしながら 到着っていうのもいいよね。

なんて 

そこ~止めとかないでください!おっと !ブレーキ遅すぎ?

どっち曲がるんですか~

ハンドルをがしっと握ったまま一時間   ぐったりです…

街中で教習車を見かけたら お気をつけください。

こんなひとが乗っているかもしれません…

*

*

* 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヌクモリ

最近よくメールを送ってくる。

だいぶガタがきていたことと なにか新しいことをして勢いをつけたいこともあって 機種変更をしたのしたものの いちばん体がつらい時期だったこともあってしばらくそのままになっていたもの やっと要領を得たよう。

といっても多すぎる機能を全部使えるはずはなく おそろいで買って分からないところを聞く。発見したらためしに使ってみる そんなところ。

日記を書くことをすすめて いるのだけれど、頭に浮かぶスピードに文字が追いつかないのが 落ち着かないらしくあまり進んではいない様子。

それが最近やけにメールをしてくる。

書くことよりさらに時間がかかるのに とは思うのだけれど 少しづつ言葉を選んでいる時間がよいらしく じっくり向かっているようす。

ただ”日記”ではなく一応”メール”なので やはりこちらも何か応えたいとも思うし こちらからも伝えたいとも思うのだけれど…

自分にむかって問うてみて きっとその時その時のこたえはきっと出ているはず。たとえ次の瞬間変わってしまっていても じぶんのなかでは決まっているはず。

あちらが人生について語っているときに こちらは子どもの箸の持ち方を注意していたり こぼしたおつゆを拭いていたり…

大事なことを語り合っているはずなのにどこかずれている気がする。

子どもにだって「あなたが大事なの」って何百回ことばで伝えるより ぎゅっと抱きしめてあげるだけでわかることがある。

おとなだってそうじゃない?

離れていても思うことはできるけど  そのあいまいなことをたしかめたいから ぬくもりが必要ではないの。

それで分かることがあるのではないの。

それがどんなこたえでも。     

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おでかけ

そういえば 昨日も風が強く 寒かったですが

ちょこっとデートしてまいりました。

もっと暖かかったら ひさびさに美術館めぐりなんて案もありましたが、ちょっと寒すぎ。

近くの図書館に行ってきました。私は まだ読み終わっていない本がおうちにあるので、読みきれそうな短めの本を抱え空いている席へ。

”彼”はいつもどおり貸し出し上限いっぱいの本を抱え 安心したように これから”読む本”をお探し中。

ほんと”彼”と図書館に行くと時間を忘れてしまいます。

一人でお店に入るのが苦手なので ほんと私お外でごはん食べるところを知らないのですが、今日はふたりなので特別にランチしてきました。

といっても最近食べる物を気にしてしまうのでなかなか…

そういえばと出かけたのは ブックカフェ風のかわいいお店。

雑穀ごはんのプレートはかぼちゃのサラダやおくら スープもおいしい。

”彼”はメインのチキンとお豆のチリが気に入った様子でした。

ひさびさの”チキン”というのもありましたが(苦笑) 洋風お豆がよかったみたい。どうしても最近和食にこだわっていたから…勉強します!

さて帰ろうと思ったら 気になる古本屋さん発見。

丁寧に薄紙につつまれたかんじ いかにも”古書店”なかんじがいいですね。

「これいいね。」といって彼が手にとったのは 手帳くらいの大きさの布張りの小さな本。ちょっとかすれた金の文字が気に入った様子。題も擦れて読めないくらい。

「これもうちにあるといいよね」こんども深い緑の布張り ほんとなんて私の好きな感じわかってしまうのでしょう。

ところで…擦れた表紙を読むと”ダンテ詩集”?

なるほど とてもすてきな本です。

ところで あなた まずは漢字からにしますか それとも旧かな?

ちょっと”8歳”のあなたには早いかも。

もうちょっと おおきくなってからね。

さて今度は”彼”のお気に入りの骨董市でもいきましょうか。

そんな感じです。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

さむいっ

ふゆのあさ

この冬いちばんの寒さだそうですね。

もう春かしら なんていっていたのに、

即席サンルームの我が家の窓辺(縁側の室内側なだけですけど…)も ぽかぽかとはいかず ”おこた”復活!

”風の子”たちも 朝から”ねこ”さんのままです。

とはいっても 2月も最後の日曜日。

お友達と交換したサイン帳をかいたり 先生のプレゼントの準備をしたり なかなか忙しいようです。

そんなこともあったはねえ…。ちょっと遠くへ行ってしまう私でありました。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

休暇いただきました。

ここをつくって もうすぐ一ヶ月になります。

気づいたらほぼ毎日更新していました。

なんとなく過ごしていた毎日が 言葉にしようとすることで すこし違って見えてきたかもしれません。

でもついついなにかなにかと探してしまったり 

とても”濃い”一ヶ月になってしまいました。

だからたまには お休みしてもいいんだよ、ということで。

といってもたった一日。

のんびりいこうよ と自分にいっているところです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨なので

雨の日のこと

おでかけをしようと思いましたが 縁側に落ちる雨粒を見ていると ぜんぜんあきないので、つい窓辺で長居してしまいます。

前は 家族がいない間に あれもこれもつめこんで みんなが帰ったときにはぐったりなんてこともありました。

いまは できるだけのんびり ちゃんとみんなの顔を見てあげたいと思います。

そうそう ”小学生ママ”になってから いろんなひとに出会って わたしもがらにもなく

”できる人”めざしちゃったのかも…

私たちのスピードでいいのにね。

おかげさまで ”かゆかゆ”はすっかり出ていません。

すごいな~と思うし やっぱりそうだったんだ なんて ぽわっとした感じ。

さて そうはいっても うちの”作家さん”から おりがみのご注文 あとあれも これも 

やることはたくさんです。動かなくてはね。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

思い上がり

『何か人の役に立つこと、いままでの自分を踏まえ 世の中の為になることはなにかありませんかね?』

という彼のメールに書いた私の返事は

『人の役に立とうと思ってやることこそ思い上がりではないですか?』

ごめんね。ちょっとタイミング悪すぎ。いつもなら『そうね なにかあるかしらね』とかえしてあげるところでしょうか。

やっぱり自分が楽しい、やりたいと思うことが いちばんじゃないかと。

私も資格は何もないですが 児童館や学校図書館のボランティアをしています。

でもそれは人のためとかではなくて 自分がしたいから、子育てをしてきて興味を持ったから 本好きだから そんなことです。

きれいごとのようですがやっぱりそうではないでしょうか。

役に立ちたいと思うことはとてもいいことだし 力になると思うんです。でも世の中のためという思いだけだと 迷子になってしまう気がするんです。

結果をもとめたり 評価をもとめたり やっぱり誰かの基準の中にいようとしたりしてしまう、認めてもらえない自分はどこへいけばいいのか。

なんて 私も分かりません。 ほめてもらえばうれしいし よろこんでもらえるとうれしい。

思い上がってるなんて思ってる私のほうが『思い上がり』かも… 

なんて反省してたのに、元気に電話してきちゃってさ。

ぜんぜん凹んでなかったのね。

私たちのできること ゆっくりさがそうよ。

その気持ちさえあれば きっとどこかで だれかのちからになるはずだから。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

縁側に…

大根がありました。

犯人は大家さんです。(笑)

この家は東、南側が 大家さんのお宅と畑になるので 縁側でそのまま太陽の動き、月の観察ができるくらい空が広いです。(実際 夜中じゅう写真をとりながら観察 なかなかのできでした♪)

同じような借家が数件 アパートもあり ”たなこ”の子どもたちが虫取りをしたりや ときには残り野菜の収穫なんてこともあります。

お家賃払いにいったはずが お野菜いただいて帰ったり ほんと不思議なところです。

きっと今日も大家さんのぞいてくださったんでしょうね。

外から丸見えなのでほんとだとカーテンびしっと閉めたほうがいいのかもしれないんだけど この空と借景を見えなくしてしまうのがもったいなくて いつも開いたまま、かくれんぼにも技がいります。

あまりにも気持ちよいもので子どもたちはお風呂上りもそのままなんてことも、ありがたいけどこまっちゃいますね。

さてさて 大家さん 今日もごちそうさまです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「宙ノ名前」

宙(そら)の名前

星空観察会行ってきました。

ほんとは子どものための行事だったりするのですが、強制ではないので ちょこっと星好きの親子が集まる不思議な会です。

今日のお楽しみは 土星の輪と冬の大三角形。すごくよく見えるんですよ!

去年はほとんど”雲待ち”だったので 今年は満喫してきました。

娘は高学年らしくしっかり月の観察、夢見がちな息子は 青くかがやくシリウスがお気に入り。またあたらしいお話ができることでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春?

洗濯物乾いてくれてうれしい~(ちょっと主婦してみました♪)

家中のまどあけてあたらしい風をいれなくっちゃ。

天然生活 2007年 04月号 [雑誌]

| | コメント (0) | トラックバック (0)

結果待ち

保留になっていた仮免検定やっと昨日行ってきました。だから今日は結果待ち。

保留っていうか私の腕の問題なのですが どうしてもマニュアルでいきたくて 粘ってたんです でも 

もともとの適正(性格?)×座布団持参なこの身長×ちょっといきすぎたこの年齢

申し込みから”要マーク”だったんですが ん~むりでした。

○○時間オーバーで向かった試験でしたが みごとに玉砕。

それもMT車故のミス(まあエンストってことです…)からくる動揺で ガタガタ。

そこで いまさらながらではありますが AT変更ということになったのです。

うちのこ(車)が MTなのと 農業研修先がどうしても AT不可が多かったので なんとかと思っていたんですけどね。

引越しがなしになってちょっと失速したかも…?

ともかく 意地でも粘ってという道もあったのですが それでは いまの私のしたいことではないじゃんということ。

ちょっと遠回りになっても 取れないこともないかもしれないし いまの私のできる範囲でがんばろう。

新しいことに挑戦している自分をほめてあげなくっちゃ。

と自分をはげましているところ。

ん~それでもだめだったら? どきどき

かなり鈍いってことですよね~

ま、 私には自転車という強い味方がいるからいいとしよう!

ロッタちゃんとじてんしゃ  

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

冬の空

歌集 ありふれた空

冬が帰ってきたようです。庭の梅の花散っちゃうかも…

今日は すこし おうちで温まろ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

休みの終り

ホリスティックハーブ療法事典―日常生活の健康と症状にハーブの薬効を生かした決定版

(つづき)

そんな私たちがしなければいけなかったことは ”薬”を手放すことでした。

(これは私たちが”やってしまった”ことなので 必ずしもすべての方にしたほうがいいということではありません。きちんと薬を飲むことで好転していくもの 続けなくてはいけない病状はあると思います。ただこれが私たちの”選択”だったということです。)

ここに来ていただいている方の中には同じような状態のかたもいるかもしれませんが 私はあえて”病名””薬品名”は書いていません。

書いてあることでもっとわかりやすくなることもあるとも思います。でもそれはあくまでも 病院の中の区分でしかないと思っているからです。”病気”は”気が病む”ことです。そしてそれはひとりひとりまったく同じものはないからです。

子どもたちがかかる水疱瘡やおたふく風邪にしても 本の通りにはいきません。熱の上がり方タイミング 腫れ 湿疹 たとえ兄弟であってもおなじにはいきません。そのときにできることをしてあげるだけです。

アトピーにしても今は「ああアトピーね」と母親たちであれば通じてしまいます。それでも私が子どもの頃は アトピー=奇妙な 原因の分からない といわれるようにとても珍しくそれがさらに両親を悲しませていたかもしれないのです。

健康診断で”再検査”通知を受けたことで不調を感じるようになることがあるそうですね。そして不調を訴え”病名がつく”ことで”病気になる”こともある そんなことはないでしようか。不安の中どこかの”規格”の中にいたい その規格の中で癒されもとの生活に戻っていく人も多いでしょう。でも人の体はすべて規格通りにはいかない そして自分に合う規格を探すのです。(私の場合はつねに不調だったので当てはまらなかったのですが…) 

夫の”病名が決まった”ことで 私はいろいろ調べます。もちろん書いてある症状もあります。でも同じでもないのです。

もちろん病院にはいっていました。何もせずに会社を休んでいるわけにはいかないですから。それでも私たちは考えていました。

ちいさな会社です。病気だからとすぐクビになることはないでしょう、だからといって休んでいる人間を抱える体力もなかったのです。でも私たちには時間が必要でした。そこで”傷病手当”という方法をとることにしました。収入は今までの6割、経済的には厳しい それでも そこから「やっと休める」と思えたのです。

薬を手放すといっても この数ヶ月飲み続けたものが「じゃあさよなら」といくわけがありません。減らし戻ししているあいだ 再びゆり戻しと副作用に悩まされます。再びの不眠頭痛 もうずっとこのままではないんだろうか と思う日が続きます。飲み続けることは書いてありますが 減薬の方法はどこにも書いてないのです。

それでも ひとつひとつの変化を感じながら 小さな一錠をいくつにも割って それでもそのひと欠片を減らすことに一週間二週間の時間をかけてならしていくのです。あらためてどんなに薬のちからが強かったのか感じます。

そして バランス。幸いにも夫の薬は二種類 6錠ほど それも早い時期に2錠づつにしていました。それでも同じように減らすことはできず 最後まで 「頭痛は絶えられるけど この不安感はどうにもならない」といっていました。

(早い時期からそれぞれの薬についての効果効能それによる副作用をしらべていましたので、そうでなければ訴えた症状ごとにあと2,3種は増えていたでしよう)

そして少なくなくなればなるほど ゆり戻しが大きくなるようでした。1,2日飲み忘れて「このままいけるか」と思ったとき突然落ちるような感じ。彼曰く「やべまた(体に)ばれちゃったよ…」

こうして経過を書けるのも私が本人ではないからですね。「そんな感じで数ヶ月が過ぎました」と書いてしまえば一行ですが 「いつまでこんなこと…」と思う毎日でした。

そして今は薬は飲んでいません。症状がまったくなくなったということではありません。でもやっと『自分のからだ』が帰ってきた、こんな自分が自分ならこいつと付き合ってやろうと。

やっと今 ゼロに戻ったのです。

薬の話だけをしましたが そのあいだにも 食事 生活習慣 歩くこと マッサージ いろいろなことをしながら 一歩一歩だったのです。(その話はまた…)全部のことを完璧に出来ているわけではありません。それでもいろいろなことにであったことで自分なりに”選ぶ”ことができるようになったのです。

天気の変わり目は体を温め 月が満ちるのを静かに待つ。

気の長い話のようですが 自分のからだはけっして自分だけのちからでできているのではないのですから。いまは少しその声に敏感になっているだけかもしれません。

ゆっくり静かにからだのこえを聞いてみてください。

きっと聞こえてきますよ。  

 

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

出会い

スピリットとアロマテラピー―東洋医学の視点から、感情と精神のバランスをとり戻す

(つづき)

”自然療法””気功”だけでなく からだのちからを考えていくうちにいろいろな方法、考え方があることも知ることになります。

食療法としては”マクロビオティック”もあり 自然療法にみられる”昔ながらの食事”、陰陽調和料理法とかいろいろ根本は通じることもあり 厳密にいえば違うともいえるし、

整体(特に野口整体)、鍼灸、経路マッサージ、リフレクソロジー、ウォーキングなどなど 直接からだに働きかけるものあり、

また考え方方法はいろいろなようではありますが”森林療法”のように直接自然に飛び込んでいく方法もある。

そのどれもが こころとからだは通じていること ひとも自然の一部であること そして”自己治癒”のちからは誰もが同じにもっていること いっています。

そして自分の体のことを考えていたはずなのに 食べ物のことを考え 農薬問題 有機農 自然農法 森林破壊 環境 エコロジー フェアトレード…どんどん広がっていってしまったのです。

もちろんこれらすべてに完璧な考えることができるほどの勉強ができているわけもありません。でも気づいてしまったのです。

でも少し目線を変えただけで 世の中にはいろいろな考え方がある、もちろんこれまでの私たちもことあるごとに話してはいたことでしたけれど いつも人の意見に同意したり反論したりということだけでした。”からだ”を考えることでそこに自分なりの”道”が見えたような気がしたのです。

立派なことを書いているみたいですが そんなものではなくて ただ知りたいことができた そのことで 母親同士や同僚の会話を疎ましく わずらわしく思う自分が いなくなったというところでしょうか。 私たちのはまだ知らない知りたいことがたくさんある 時間がいくらあってもたりないのです。でもけっして急ぐことでもないのです。私たちはもう見つけてしまったのですから。

クロワッサン特別編集 ビオ・マクロビオティック・ライフ  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長いお休み

(つづき)

彼は休むことを選びます。”前のこと”のことを考えれば 休養することがなにより必要だと判断したのです。それがいちばんの近道になるはずでした。

ところが違ったのです。いっこうに良くなる気配がない それどころかもう動くことも話すこともつらい 頭も体も痛い それが副作用なのか 本当の自分の痛みなのかわからなくなっていました。

そして時間が経てば経つほど”休んでいる”ということが さらに体を休めなくしていました。

本を読みました。(もちろん彼は活字を受け付ける気力もありませんでした。)

はげましてはいけない。重要な判断はさせてはいけない。などなど

そして”薬をちゃんと飲み続けること。”それが家族の唯一できる仕事のように書いてありました。そして私はその仕事を果たすように薬を飲むことを進めました。

数週間ののち 好転しないまま それでも安定したのか 彼は”方法”を探り始めます。

整体、鍼灸 時間をかければなんとかなるかも 今までの自分はそうしていたのだから…答えは 「手に負えませんね」というものでした。

それでもなにか 体を心を鍛えることをさがし 武道の道を探り それでも出会うことはありませんでした。(体験に付き合った私はなかなか有意義だったのですが 彼の思っていた精神性とは違っていたようです。)

そんなとき ある気功の先生に出会うことになります。(そのころには彼が行ってみたいと思うところはどこへでもという気持ちもありました。外出も人と会うことも辛いと思いながらのことですから)

といってもそんな劇的な出会いではなく 普通の治療だったわけですが そこで 痛みが出ていることはいいことだ。という考えに出会うわけです。

今まで自分の中に溜まっていた”毒”が出ようとしているのだから 出してあげなくてはいけない。それはひとによって少しづつ出していく人もいるし こうして溜まりにたまってから一気に出そうとする人もいる。それができないから体だけではなく こころにも無理がきてしまうということ。

そしてそれを妨げていることが”薬”であること。その日にうちに 全部は無理でも半分にするように そしていずれすべてやめるようにといわれます。

おなじように”私にできること”を探していた私も”自然療法”というものにであっていました。

自分の体のことがあるので もともと化繊製品などはいっさい受け付けず 体につけるものはできるだけ自然のもの 食べ物も出来る範囲でしていたつもりでした。

それでも家族 まして夫は健康が取り柄のような人でしたから なにからなにまでとは私も彼自身も思っていませんでした。それでも知れば知るほど思い当たることだらけ 

そのころ彼の体も確実に”感じて”いたのです。それは私にも分かっていたのです。

もう私たちは向かうしかなかったのです。

そしてそれはさらに”長いお休み”の始まりになるのでした。

自然療法が「体」を変える―免疫力が増幅する“クスリを使わない”医学

この本がすべてではありませんが 私たちはここから始まったかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

きっかけ

前に書きましたが 私は子どもの頃からのアトピーで薬が手放せない生活をしていました。そしていま 東京での一人暮らし 結婚 出産を経て いまは少なくとも”普通”の生活をしています。

どうしてこうなったのか不思議ではありましたが それまでの”ストレス”から開放されたから?とでも片付け 納得しようとしていました。それを考えることになったのが夫のからだのことでした。

今思えばもっと前から”声”をあげていたのかもしれませんが きっかけは入院でした。

その朝 胸の痛みを抱えながら「休むわけにはいかないと」出社した夫は そのまま高熱と激痛で病院に運ばれ 入院することになります。その後数日 熱は下がらず 薬を強くしても痛みは治まらず横になることもできません。「筋肉 免疫力が落ちるからあまりできませんよ」といわれながらした モルヒネのフラッシュ(一瞬だけ点滴に投入)でも一時うつらうつらできるだけでした。

それでも若さでしょうか(なにしろ同室の方が70、80代の方ばかりでしたから ”若い”ですよね)熱が下がるにつれ痛みもおさまってきました。

この何年も忙しくしていた彼にとって無理やりの”お休み”だったのかもしれません。

やっとこれまでの自分を振り返ろうとしていたとき お見舞いに来てくれた会社の方が次々と”相談”を持ちかけてきました。  休みは終わりました。

2週間後退院した彼は休養もそこそこに会社に戻ることになります。体力の不安を抱えながら それでも1ヶ月もすればと仕事を続けました。

そして一ヶ月後の検診 ”異常なし”

体の痛みはとれず 眠れない日々は続いているのにです。そして病院(内科)からが出されました。

副作用があることはわかっていましたが 少しでも早くと思っていた彼にとってさらに辛い”待つ”時間を与えられることになります。

そして”またか”という思いのあった彼は 再び病院にいきました。”前のとき”のように自分の力だけで立ち直るには 時間が足りないと思ったのです。そしてそれが彼のさらに長い道へ入り口になったのです。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「天使の卵」

天使の卵(エンジェルス・エッグ)  

映画の帯につられて だいぶ前に出先で買ったもののそのままになっていました。

どうも体が冷えるので少し長めの半身浴にしようと いまさらながらと軽く持ち込んだのに 不覚にもちょっときてしまいました。

病院がらみだから?

やばい 私弱ってるかも…

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

迷い子

雲を追いかけて

10歳の少女のように 世界の明日を心配していたようです。

今の私は わたしなのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

散歩にでもいってくるか

英文ビジュアル版 東京—江戸の息吹

ちょっと大人のふりをしてみたけれど 夜遊びなんかしたことない。

私が案内できるのは 本屋と写真屋さん?

下宿と学校の往復、会社と家との往復。

そしてもう何年も 半径5kが私の世界。

だから冒険したかったのかな。

でも これがいまの私の世界。 

雨 やんだみたいね。

ちょっと散歩にいってみるか。 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

きょうも雨

酒の肴、おいしい愉しみ  

最近飲んでないな。  おでかけもしていない。

おいしいものを少しだけ 

今のままの自分でいられる人との時間なら

いいかも…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちょっとおつかれ

いろいろ考えてたら ちょっとおつかれ 休憩です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

必然ということ

今 ここにあることは すべて”必然”である。

といっても なんかむずかしいことでなくて 今はそう思えるかなってこと。

彼と初めて会った時 私は”この人とは一生付き合っていくんだ。”という確信とも言える予感があった。

といっても”恋におちた”とか”この人ときっと結婚するんだわ”なんてどきどきした感覚ではなくて なんか ”気配”みたいなかんじ。

そのあと彼がどのように感じていたかはわからない 仕事場でもあるし 上下の差もあることだから ”立場”をわきまえた関係ではあったけれど お互い 認め合っていたし 尊敬できていたと思う。

同僚たちと女の子の話をしているのを聞けばやきもちを焼かないでもなかった 

でもそれはそれはそれ 少し離れて見ている感じがとても心地よかった。

彼が最初の”旅”に出ようとしたとき 二人の距離のバランスが崩れてしまった。

彼が必要としてくれていることはわかっていた。 

それは彼の飛び立つための力ではなく 彼の心を閉じ込めてしまったようだった。

”旅”から疲れ果てて帰った彼を私は 少し離れて見ていた。

なにも考えず抱きしめてあげたら どんなに楽だったろう。

なにもかも捨てても守ってあげることもできたもかもしれない。

でも私はそうはしなかった。このまま縋りあえば 心の病んだ男と尽くす女。それはきっと彼の心にずっと残ってしまうと思ったから。 

彼はふたたびたったひとりで”旅”出た。ぼろぼろのまま…。

帰ってきた彼はいろいろな人に出会って また歩きはじめた。

いくらかの時間をひとりですごし いくらかの寄り道をし そしてもう一度出会ったとき 

自然に”家族”になることを選んだ。

そしてもう一度 彼は”壊れる”ことになる。

でも今度は違うから、今度はだれはばかることなく 縋りあって 支えあって いっしょにいればいい。

私たちだから出来ることをしていけばいい。

今度はふたりで新しい”旅”に出ればいい。

今はまだその途中だから…。

そしていま ここに来てくれている方との出会いも”偶然”ではなく”必然”です。

そこにいてくれる それが私の力です。ありがとう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

からだのちから 私のこと

自然に暮らすということで 私たちが薬(西洋医学)を極力さけているのは コメント等々で少しづつお話しています。

でもまったく”世の中”を否定しているわけではないので 誤解のないように 少しづつ私たちのことお話していきますね。(一度では無理なので ぼちぼち です)

私はものごころついたときにはすでに ひどいアトピーでした。

両親もいろいろこころを痛めてくれていたようですが 娘の年頃には 薬でしのぐことしかなかったのです。

夏でも長袖を着(見せたくないということもありますが すでに弱っていた私の肌は強い日差しにも水泡をつくるように もう疲れていたのです) そのブラウスさえ 掻き傷の血がいつもにじんでいました。

体を動かすことがいやだったわけではありません。ひとりで走ること プールに浮かぶことは好きだった。でもそのあと流れる汗が傷に沁み 塩素にやられた肌は悲鳴をあげる。

「年頃なったら治りますかねえ」という医師のあいまいな答えに 早く大人になろうとしていたのかもしれない。中学、高校と続くこの生活に 「ストレスかしらねえ」というあいまいな答えを抱えて。

そして私は一人暮らしを始めた。

(よほど信頼してもらっていたのか それともこの気難しい娘を手放したかったのか なんて考えてもしょうがないけれど 少なくても弟妹がいるなか 私を外に出すことは経済的にもとても大変だったと思うので感謝している。)

そして 初めての場所、人に戸惑いながら 自分と暮らしていた。銭湯にもいった。家賃を払い 今晩のごはんと印画紙を天秤にかけていた。

そして 少しづつ体が変わってきた。頭痛、肩こりは変わらなかったけれど(というより人に言わせるぱんぱんという状態しか知らなかったので こっていない肩はわからなかった) 少なくとも ”血がにじむ”生活ではなくなった。

あのころ若い女の子たちがしていたような格好はとうてい無理だったけれど 私にとっては 信じられない進歩だった。

そしてなぜか帰省するたびに”復活”。「東京の水が合うのかねえ」といわれつつ、やっぱり”ストレス”というあいまいな答えにもどされていった。

限られた仕送りの中 薬代に使うのももったいなくて 友達の誘いよりも フイルム代に使った。

仕事を始めた頃 また”復活”した。でもその頃 同級生の目を気にする女子高生ではなかったし ”それどころ”ではなかったし、でも今思えば それが東洋医学的に言う”瞑眩”(めんげん)だったのかもしれないかも。

それでも生活そのものは変わらなかったから 完全になくなったわけではなかったけれど、季節の変わり目 疲れ そんなことで”付き合っていけそうかな”と思えるようになってきた。

夫はこんな私を知っている、結婚して子どもを産んで どんどん楽になっていく私の体に「俺のおかげだな」なんて言っていたこともある。

それが”壊れる”ことになる。それも夫が。 

彼のからだを考えること、それが私自身のことを考えることになった。

それが 自然に暮らす といくわけではあるが…

”肩がこってきた”ので 続きはまた。

       

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

やりたいことってなに

自慢にはなりませんが いま我が家は二人とも無職です。ここのところ いろいろのんびりしたことを書いていて ちょっと あれ?っと思ったので書いてみました。

次のことは まだ未定です。

こどもを二人も抱えてこんなこといってていいの?と思いましたが そうなので。

移住を決めて 準備を進めていましたが 結局 保留になって、いや保留にしたのです。

場所も家も仕事先もほぼ決まっていたのに立ち止まってしまったのです。

私たちのしたいことはなに?

移住を決めたときは本当に行こうと思ったのです。それしかないと思ったし それしかなかったし。

体のことをいろいろ考え出して 自然、環境、そしてこどもたち… 今しかないと思った。

そして体のほうも 都会を一切拒否していた。電車のモーター エアコン 溢れる電気製品

”あたらしいもの”に纏わりついているなにか 食べ物に隠れている”なにか” 

いろいろいろいろに”感じて”しまう。

イコール住めない。 そして そのときの自分の仕事自体に疑問を持ってしまった。ということ。

それでも もっともっと時間がかかるものだと思っていました。

それが あれよあれよという間に進んでいく そしていつのまにか私たちの心のスピードも越えてしまった。

現実的には 子どもの問題 受け入れ先の人間関係 実家の反対などあったわけではあるのですけれど それは私たちの心が揺らがなければ クリアできたこと。

でも次々そろえられていったものに 違和感を感じてしまったのです。(ごめんなさい。すばらしいところだし いい方ばかりでした。でも私たちには”上級”過ぎたのかも…またきっといきます。)

だからなにって感じですよね。10代の若者じゃあるまいし いまさら”やりたいこと”なんて。

でも今だから考えたいんです。ここで立ち止まらなかったら変わらなかったかもしれないこと。そしてこうして立ち止まることが出来る人はたくさんはいないと思うから…。

立派なことを書いてしまいましたが ほんとは”妻”は「ちゃんとしなさい」ってちゃんと言わなくちゃいけないらしいですね。

「あなたのやりたいことはなに?」「なにがしていきたいの?」なんて言ってる私はおかしいのかな。

でも なんか力抜けちゃって 今までは「がんばれ!」って思ってたんだけど、

「二人でやればなんとかなるんじゃない」というのが今の気持ち。

あたらしいことは不安だらけだけど まだ なんでもできるって思いたい。

だからもう少し時間をください。

 

  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

男の子の立場

Counting Kisses: A Kiss & Read Book 昨日はバレンタインデーでしたね。

近頃は ”友チョコ”主流のようですね。

娘も前日は内職のように20数人分の手作りクッキーのラッピングがんばっていました。

学校には仲良しの女の子たちへ そして交換に山ほどの手作りチョコを持って帰ってきました。びっくり。

そしてそのあとは近所の小さい子たちに配りにいってきました。とってもよろこんでもらえたみたい。

海外では男女の別なく 大好きな人 たいせつなひとにプレゼントをしたりするようですね。気持ちが大事みたい。

そんなわけで 少し早めのひな祭りのように女の子たちは楽しそうですが 男の子たちはすっかり蚊帳の外。告白のどきどきはどこへ?

おとうと君は 近所のお姉さんたちに”なかよしチョコ”をたくさんいただけたようでご満悦です。

さて 「しょうがないなあ」といいつつ もう一個もっていったクッキー。

ちゃんと渡せたのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日に○をつける

ちょっと気になった記事があったので…。

自分に自信がないとき 落ち込んでいるとき 日記に書いて振り返ってみようというのはよく聞く話。

その記事に書いてあったことは 一度書いた文を読み直して 順番を変えてみるということ、

「○○は良かったでも××だからだめだった。」から「××はだめだったけど○○できてよかった」 ということ

全部が○にならなくても 毎日ひとつでも○があることが大事だって。

私もいつも大きな○がほしかった気がする。そしていつも×がつくのが怖かった。

ここに書いていることも”毒”を吐きたい気持ちもありながらついきれいに収めてしまっているような気がしていたのだけれど、

そうしたい。がんばろう。と思うのはいいことなんだと思った。(とまたまとめてしまうのであった。)

もこもこもこ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

くろまめ時間

雨ですね。

子どもたちが登校したので、昨夜から浸しておいた黒豆をことことはじめました。

ほんとは七輪で といきたいところですが 雨なのでコンロでことことです。

黒豆といえば お正月という感じですが 我が家では 結婚当初からのお気に入りで 一年中思いついたらいつでも登場します。

といってもこの数年 私が仕事をし出してからは 少なかったですね。

この”ことこと”ができなかったんですね。時間も心の余裕もなかったんでしょうね。

食事に気をつけるようになって気づいたことは 子どもたちが小さいときに 私が不器用ながらも作っていたごはんでだったってこと。

それが 夫も私もなんだか忙しくなり 子どもたちも大きくなるにつれ なんとなくどこかへ置いてきてしまったんですね。

玄米に切り替えたこと、パンは自分で焼くか本当に気に入ったものを少し お肉は極力食べないとかいろいろありますけど おかずは以前私が作ってものじゃないということでした。(苦笑)

きっちりいこうと思うと つらくなるし お楽しみも必要、なにより子どもたちは給食が大きなウェイトを占めているし(ありがたいことに我が子の小学校は地元野菜を利用したり おいしい給食なので 助かってます)なにからなにまでとは いけませんが 少しづつできることをしていきたいですね。

といっても この時間。引越しを決めたとき仕事を辞めてたからできた時間でもあります。

これからどうなるかまだわからないけれど 今を大事にしていきたいです。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

七歳までは夢の中

昼間ゆっくり出来たので 少し調べごとをしていたら ”シュタイナー”について書いてあるブログに出会えました。

懐かしくて次々読み進めていくうちに 「ああ そうだった。わたしはずっと前からそう思っていたんだ。」と 持っている”シュタイナー”の本をあらためて開いてみたのです。

上の子がおなかにいるとき 私はまだフルタイムの仕事をしていた。満員電車に揺られながらいつも”ふたり”で通勤していた。そうして予定日の2週間前まできっちり働いた。

無知であったのかもしれないが 何の不安もなかった。いつもいっしょだった。

出産の日も初めてなのにやはり”気配”をふつうに感じ 夫の弁当をつくり 送り出し おふろに入り 仕度をした。 ”そのとき”が近づいてきて 夫に連絡をし 自分で電車に乗り病院にいった。

もちろん破水うんぬんの知識はあったけれど”大丈夫”という思いで向かった。(あとで周りからは怒られてしまったけれど…)

やっときてくれた夫は 初産は時間がかかるからと帰されてしまったけれど 私と”彼女”は日付が変わる前にと”はなしていた”ので 生まれたのは23時58分。

”安産”ということばでは足りないほど 「これなら何人産んでもいいかも」と思えほどすばらしい体験だった。

(ごめんなさい。おはなしにおとうさんをまぜてあげなかったので いまでも家に帰ってしまったことを残念がっています。)

彼女とはとても楽しい時間を過ごし そのとき”シュタイナー”にも出会ったのです。といっても完全な”シュタイナー教育”ではなく 私たちなりのやり方でできることだけでしたが…。

その後 私は世の中の”ふつう”に悩むことになるのです。

幼稚園 小学校 ”みんなと同じ””なかよし”という”ふつう”の中でバランスが取れなくなってしまったのです。

この1年のこともこんなことの積み重ねだったのかもしれませんね。

あの頃 私は子どもたちの大事な時間をなくしてしまったような気がして 自分を責めたこともありました。

でもいまは 大事と思えることに また戻ってきたような気がします。

今までの私たちも私たちです。これからも私たちです。

自然に暮らしたい。そんな思いはずっと前から私たちの中にあったんだとあらためて思いだしました。

七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育

親だからできる赤ちゃんからのシュタイナー教育―子どもの魂の、夢見るような深みから

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「鏡の中、神秘の国へ」

鏡の中、神秘の国へ

今 娘が一生懸命読んでいる私の本。

ヨースタイン・ゴルデルの「鏡の中、神秘の国へ」

どうせ死んじゃうのに なぜ生まれてきたの?

その答え今もさがしています…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

冷たい手

ここ数日 右手が冷たい。

わかっている。調子にのってこの数日長い間ここに向かっているからである。

今私たちがいちばん良くないのであろうと思ったこと  ”冷え”

いま 世の中には とても体を冷やすものに囲まれているのだそうだ。

その”冷え”が 体を崩し 心まで壊してしまうというのだ。

といっても私たちは医者でも学者でもないから 「こうすれば元気になります!」「必ず直ります!」なんてものはないので あまり「これは!」と思われても、という不安もある。

自分たちもあれこれ読んで「よし!」と思っていたことが 次の本ではまったく否定されていたり 良くも悪くも あまりに多すぎる情報に閉口してしまった。

(でもずっと”この世界”を避けていた私が 最初にしたことは”薬の検索”だった)

ただ、いま なんとなくではあるが 私たちなりの付き合い方ができるのではないかと思えるものもできてきた。

自分たちのことを伝えるのにそこに触れずに書くのもむずかしいので これからいろいろ出てくると思う。

もしかして読んでいてくださる方がいたら「そんなものもあるんだな」くらいに考えてくださるといいと思い ここに書いておくことにした。

実際 彼もなにげなく手に取った本の”毒”にあたることがしばしばあったので とりあえず”毒見”をしてから手渡した時期もあった。

いまは逆に 私とはぜんぜん違う視点から手にとってくれることが楽しみであったりもしている。

パソコンに向かうこと テレビさえも極力避けている私にとって ”冷え” を実感してしまう時間なのだけれど 

いまはもう少しだけ… と思ってしまう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カサブランカ

なつかしいです。昔 ふたりで何度も見た映画。

今日は私一人。

カサブランカ 特別版

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おふろの記憶

夫と娘がおふろに入っている。

クラスでいちばん小さく幼いといってももう5年生である。微笑ましく思えばいいのか 母親の立場からとすれば ”そろそろ年頃なのだから”とでもいうころなのだろうか。

私には”おふろの記憶”がない。

ものごころついたときには ひとりで入っていたと思う。親たちも下に続く弟妹たちのことが大変だったのだろうとずっと思っていた。自分のことは自分でする子だったのだろう。

中学生のころだっただろうか 偶然脱衣所で風呂上りの父に出会ってしまった。そうそのとき初めて私は親と入浴の記憶がないことを自覚してしまったのである。

幼い頃からのアトピーはその年頃にはますますひどくなり 制服のブラウスも血ではりつくような毎日 入浴そのもの苦痛。それでもせめて少しでも清潔にしなければとの思い。

修学旅行も合宿もお風呂を楽しんだ記憶はない。

東京に出て 最初の住まいは風呂なしの学生用下宿だった。

初めて出かけた銭湯はまったく別の世界だった。

小さな子どもが走り回り タオル一枚のお年寄りが番台のおばさんと世間話をしている。

だれも私のことなど気にする風でもなく それぞれその時間を過ごしているようだった。

銭湯に行って こうやっておふろに入るんだと習った気がした。ほんとうならどこかでちゃんと積み重ねてきたはずのものを私は持っていなかったのかもしれない。

月日は流れ子どもが生まれた。忙しいながら夫はよく子どもたちをふろに入れてくれた。それはまた父と子の時間になり 私の居場所ではなくなった。

子どもも大きくなってきたこと 仕事も忙しくなって帰りが遅くなってきたこと 私も子どもと入った後夫を待っているのもなんだか だんだんにそれぞれで入るようになってきた。

そんなふうにしばらくが過ぎ 彼は壊れてしまった。

それまでもおあそびのようなマッサージはしていたが とにかく体にいいと言われるもの

それよりなにか刺激を与えていないとこのまま何もなくなってしまうような気がして なにかなにかとさがしていた。体を温めたほうが良いというので お風呂でもさするようにマッサージをくりかえした。 そのせいかほかの理由かはわからないが だんだんと体調ももどってきた。それにつれ子ども達も父の元へ集まるようになった。

最近夫と二人でおふろに入ってみた。二人はいれば満員の小さなお風呂だけれど「ずるーい!」といいながら子ども達もやってきた。

これが私のあたらしい記憶になり 子どもたちの”おふろの記憶”になるのだと思う。 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ぼちぼちいこか」

ぼちぼちいこか 

お天気がいいといろんなこと思いついてしまうみたい。

ゆっくりでいいよ。あせらなくていいよ。

ちゃんと待ってるからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

愛しいと思えること

「なんだかいろんなものが”愛しい”と思えるときがあるんだよなあ」

散歩の途中 突然そんなことを言い出した。

「考えてみると今の家もいいよなあ」

この家に引っ越してもうすぐ2年になる。その前はここから歩いて数分のところ 上の子が生まれる前からだから10年と少し、私たちにはちょうどいい ちいさな家だと思っていたが 子ども達も大きくなり少しだけ窮屈になった。とはいえ私たちの住んでいる”古い借家”のかわりになるものがそうそうあるわけもなくなんとなく過ぎていった。

今思えば 私も彼もそのころから いろんなことに疲れていたのだと思う。同僚の仕事ぶりにイライラし 親同士の関わり 近所の方の言葉もうまく受け取れなくなっていた。

そんなときこの家にであった。よく陽のあたる庭がある 近くの畑から風がぬける 私たちより少し年を重ねた家。

少し予算は厳しくなったが たぶんかえられないものがあると思った。

子どもたちにはすばらしくどんどん元気になっていく。

あれほど苦手だったボールなげも 子どもたちが集まるこのあたり、 あっというまに鍛え上げられていった。(もう私ではお相手出来そうにない。)

ところが 彼はどんどん”落ちていった”

休みごとに集まる子どもの声がつらい。さわやかな目覚めを誘うはずの朝日が差し込む寝室がつらい。(といっても子ども部屋兼隠れ部屋に4人並んでねているのだけれど)

なれるまでなれるまでと 厚いカーテンをつけ 休みごとにわざと出かける用事を入れてみたりもした。

それでも結局なれることはなく 眠れない日が続き…

この家に何かあるのかと思うこともあったし この家を見つけた自分を責めてみたりもした。引っ越してこなければ こんなことには と思わなかったこともない。

そしてこの10ヶ月ゆっくりゆっくりこの家で過ごした。

近所を歩いているときに 前の家の知り合いになんどとなくあった。まるで引越しのあいさつのように。 私たちは なにかわすれものをしたままだったのかもしれない。

ときに風水にはまり大掃除大会になったり 二人分の本が増えていき ほんと笑ってしまうそうなこともあったけど

いまやっとこの家の住人になりかけているような気がする。

彼はまだ新しい地への憧れは捨てきれないし それは私もかなえてあげたいと思うのだけど もう少しこの家と語ってみたい気がしてきた。

この家も 周りの人も 毎日眺めている散歩道の風景のなにげない変化さえ今は

”いとおしい”と思える時間。すこしでも長く続きますように…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

てをつなぐ

今日 素敵な老夫婦を見かけた。

子どもの頃から 年老いた夫婦が手をつなぎ歩く姿に憧れていた。

それは映画や物語の中ではあったけれど 長い紡いできただろう夫婦のつながりを感じ きっと彼らは ずっと変わらずこうであっただろうと思っていた。

夫とは仕事場で出会い、先輩後輩はあったものの 同志のような同じ方に向かう仲間のような気持ちだった。それはいっしょになっても変わることなく 「手をつなぐ」なんてことはまるで別の世界の話だった。

数週間の休みの後 だんだん家のまわりを歩けるようになったある日 気分転換にと 駅前まで歩いて出てみようと誘ってみた。

体力が落ちていることも気になっていたし 天気もいいこと、歩いてみることにした。

家の周りは畑もありのんびりした空気。平日の昼間に散歩なんてという思いもあったようだが いまどき世の中全てのお父さんが平日仕事なわけもなく 寝巻きででも歩いているわけでなければ 何の問題のないとおもってくれたようではある。

しかし小さいとはいえ駅の近くは 人も車も増えてくる それよりなにか『ちがう』ものの力に耐え切れなくなった。「やっぱり帰ろうっか」と戻ろうとした私の手が突然ぐっとつかまれた。

「ちょっと待って…」夫はすでに動けないところまできていた。

しばらくして少し落ち着いてきたようす 手はつながれたままゆっくり それでもできるだけその場を離れるように帰路についた。

その後も出かけるごと ある種の店であったり ときには普通の道でさえそんなことが続いた。

(水のこともあり なにもかも敏感になってしまう時期があるのかもしれない。その道も川を埋めた遊歩道で たぶん気が滞っている場所 そのことを彼に伝え 道を変えると別人のようであった。私のオカルト雑学も無駄ではなかったようではあるのだが うそかほんとかこのあたり川も近いこと水路あとがたくさんあり なんと歩きにくいことか。でも彼の様子に”気”というものはあるのだと思った。)

そんなことが何回か続き 今まで子どもたちとつなぐためだった手が二人をつなぐようになった。

体調が戻るにつれ そんなこともなくなってきたが 今も人ごみの中互いの気配を見失わないように手をつなぐ。

そして 散歩のときもそっと手をつないでみる。

あの老夫婦もこんな時間を過ごして手をつないでいるかもしれない。

今日はそんなことを思っていた。

   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「おおきな木」

ひさしぶりに私も読んでみようかな。

まだまだわたしは「ちいさな木」だけれど…

おおきな木

| | コメント (0) | トラックバック (0)

娘の時間

もうすぐバレンタインですね。

今年は 娘が手作りクッキーに挑戦です。

去年までなにからなにまで親がかり 泣きながら怒りながらのかなしいバレンタインでしたが 今年は違う

買い物も自分でさっとすませ 手際もなかなか。

あらためて1年てすごいなと思いました。

助手さん(弟)はそろそろおつかれのようですが がんばりましょうね。

それはそうと お友達の多い彼女。

お父さんの分ははいっているのかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富士山きれいです

昨日の雨がうそのように いい天気です。

今日はひさびさに家族4人そろって散歩にいってきました。

最近はすっかり二人の時間 どんどん歩いていってしまう癖がついているので いつものコースまでだどりつくだけで大変。

すっかりいつものペースはどこかに行ってしまったけれど、

息子の”くもワールド”の住人たちに ごあいさつしながらの散歩になりました。

富士山きれいにみえましたよ。

雲の名前の手帖

| | コメント (2) | トラックバック (0)

雪はどこ?

ほんとにあたたかいですね。

河原で半そでで歩いている人みましたよ!

といってもうちの子どもたちは一年中半そでなんですけどね。(苦笑)

東京の初雪の記録更新だそうですね。

正月に田舎に行ったとき 突然の雪に見舞われ、雪国体験してしまった私たちは すっかり冬気分でしたが 

ほんとうにこのまま春になってしまうんでしょうか。

ゆきのひ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

びっくりしました

スコールのようにすごい雨でした。どうもこのあたりだけのようですね。

一雨ごとに…という感じではなさそうです。

どうなっているのでしょう。

天変地異のメカニズム  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

読書の時間

夕食の後のひとときが 我が家の読書の時間。

これも私たちの新しい習慣。

私と息子は本好きなので 時間さえあればいつも手には本がある。

雑誌であったり絵本であったり 新聞の片隅の記事を眺めているのも それはそれ楽しい時間。

一方 娘はとにかく動いていないと バネがとんでしまいそうな子である。年頃の本を選んでもどうもお気に召さないらしい。まあ生活に不便はないし 元気なことはいいことなので そう思うことにしていた。

以前であれば仕事から帰り サッカーにニュース外出していた分もとテレビのチェックをしていた夫も 体調が悪くなるにつれ テレビの音も障るらしく もともとあまり見せているほうでもなかった子ども達もいっしょに消すようになった。

その習慣はそのまま なければないで過ごせることもわかった。

テレビのない夜は長く静かに それぞれ好きな本に時間を使う。

いままで付き合いで時間つぶしのように読んでいた娘が 私の本棚から本を持ってきた。

面白そうだからもっと読みたいという。「ソフィーの世界」は少し楽しみに取っておいて 今日のところはこのへんで。

娘と本の話だなんて、なんだか今日は不思議な気分だ。

アドヴェント・カレンダー―24日間の不思議な旅

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いつかボックス

ある方からすてきな言葉をいただいた 

”いつかボックス”

ほしいもの したいことは 以前も今もかわらずあるけれど 以前の私は いつもかっこよく生きたいとか人から認めてほしいとか ひとを羨む気持ちが強かったように思う。

今も まったくそうではないとはいえないけれど 人の言う”気持ちいい”が少しわかってきたような気がする。

今の私にできることは いくつもないかもしれないけれど ”いつか”と自分にいえること 少しづつあつめていきたい。

そして”いつか”ほんものになるような自分になりたい。

もりのなか

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ふつうのごはん

夕方 夫と買い物に出かけた。私ひとりなら自転車でさっといってしまうところなのだが ふたりのときは 貴重な散歩の時間。

家の中では お互いに選びながら交わしていることばも 歩いているときは 乱暴なくらいに 思いついたまま ひとりごとだったり 近所の畑のチェックであったり。ときに手をつないで歩いたり…(そういうときに限って”ママ友”に遭遇してしまう)

あらためて食事のことを考えるようになって いままでなんと勝手なことをしていたことか反省。といっても子どもがいることであるし 食べ物には影響ないにしろものごころついたときからアトピーであった私としては そこまでひどいと思ってはいなかった。

それでも体のためと本を読めば読むほど 世の中で ちゃんと食べられるものなんてないんじゃないかなんて思ってしまった。

夫は体の落ち込みにつれどんどん敏感になり 菓子が砂糖になり 水さえ選らばないと動けない始末。(とはいえ”きき水名人”と面白がっていた私は反省するべきなのだろうが、都心の喫茶店の水は必ず”やられた”)

私が手に取ったものを 家族が食べる と思っただけで 食材を見るのさえ憂鬱になったこともある。

体調が戻るにつれて というより(彼の)食べられるものを 食べているうちに いつのまにか玄米食になり 完全ではないにしてもマクロビオテックであったり 自然療法といったほうに向かっていき 

「なんだ結局 昔のふつうのごはんじゃないか」ということになった。

それが憧れではなく 現実として田舎暮らしを目指すことになった理由なのでもあるけど。

この生活をしだしてからやはり体調はいい。本に書いてあったからというよりやはり 自分で自分の体を感じているからだろうか。

それが帰省や家探しや外出が多くなるにつれ 自分たちだけではどうにもならないことになった。ここだけここだけと思うのもつらいのだが かといってこちらのやり方を押し付けても ”大丈夫な人たち”にはわからないことなのだから。

「ねえ今晩ごはんなんにする?」

「なんでもいいよ ごはんと味噌汁 あと…なんか”ふつうのごはん”で!」

いまはふつうがむずかしいみたいなんですけど…

別冊天然生活『家族ではじめるオーガニック』

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

雨ですね

東京も久しぶりの雨ですね。

夜の雨はすこし寂しいけれど でもこんな雨の日は好きかも 静かな時間が過ぎていくから

でも今はちょっとつらいです。天気の変わり目 寒い日は 彼の体調が落ちてしまうので。

今日は朝から かなりつらそう…と思ったら やっぱり崩れてきましたね。 

あとは夕暮れ時、太陽が沈む少しの時間なんですけどね。

自然の力なんて簡単に言っていいものかわかりませんが 今の私たちにはとても大事なものです。

なんとなく気分がつらいときも 「もうすぐ新月だもんね」とか いろいろなかたちで考えられるようになったので よかったかもしれません。

月の本―perfect guide to the MOON

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

落ちました…

仮免検定落ちました。

いえ、こんな私が路上に出てはとっても危険なのですが、

やっぱりがっくり。

とはいえ以前の私だったら 一週間は落ちきっていそうなものでしたが、とても前向き というより今はわたしが落ちてもいられないので ハイテンションで帰宅。大報告大会。

呆れられるくらいしゃべってしまいました。

とりあえずせめてポジティブパワーをふりまいとかなくちゃ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

タイミングのわるいやつ

またやっている。 どうしてこうもタイミングが悪いというか 外すというか。

親譲りの不器用さで また今日もそのままふて寝…

やっぱり子どもだよな  いや彼女も私たちも。(苦笑)

かいじゅうたちのいるところ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

図書館

すきな場所、図書館と本屋。

ジュンク堂書店の図書館っぽい感じがすき。でも街の古本屋を探索するのもすき。

ストレス解消というなら スポーツでも ケーキでもなく 一日中本を眺めていることか。

といっても私の場合 ぜんぜん高尚な趣味はなく 作文もこの始末なのであるから ”本”というものがすきなのかもしれない。

とくにこれといってこだわりもない そのとき自分に与えられた課題 興味のまま とりあえず文字をたどらずにはいられない。

彼はたくさんは本を読まない人だった。でも1ページ1ページ大事に読んでいる姿に、 私が自分の本をいくら山積みにしたところで 何もないような気がしていた。

なにかを始めるとき 私は調べずにはいられない 自分の中であるところまで消化できていないと 次にいけなかった。

彼は逆、まず始めてみる わからなければ聞いてみる 調べるのはそのあとである。

そのことに関してはいつもお互い理解に苦しんでいたけれど、実際のところは ちゃんと役割分担になっているので 結果オーライではあったのだけれど。

彼が文字を受け付けなくなった。 私が調べてまとめたものさえ厳しくなった 役割分担ではあったのだけれど どうにもならなくなった。結局 病気からくるものとは理解したのだけれど 私のすることがすべて苦痛でとは…。

ゆっくりゆっくり進んで今は大丈夫になった。それどころかこの時間を埋めるように すっかり本好きになってしまった。(苦笑)

そしてわかったこと。すこしばかり本が好きって思っていたんだけど 

結局私のほうが 世の中のなにもかも ほかの人には聞けなくて 文字の上に ”本当”を探していただけだったということ。

でもやっぱり図書館は居心地がいい。

彼のとなりの次にだけど…(笑)

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

のだめ

ときに私は ”おかあさん”なわけで そうそう自分の世界にだけはいってもいられない。

少々オクテというか幼いと思われる 我が娘もお年頃。

父の病気にはじまり 移住のはなし 彼女なりに精一杯考えていたことだろうと思うのだが、とりあえず引越しも保留。先のことはわからないけれど 今は しばし子どもの時間に戻っているようでもある。

今考えると 私の人生の中で あの年頃が一番考えていたように思うのだけど 彼女はどうなのだろう。

でもいいか。彼女のまっすぐな子どもの時間が少しでも長く続くことを祈るのみかな。

しかし いまごろながら ”のだめ ”にはまり どっと借りてきている。

母としてはのびのびはしてほしいのですが とりあえず宿題はしてください。

のだめカンタービレSelection CD Book 私もちょっと楽器やっていたので弱いところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

洗濯日和

教習所は午後から 久しぶりに静かな一人の時間。

1年前は 今のような 私たちになるなんて思ってはいなかったし、いつもかかえていた息苦しさも ”大人になること”のように思おうとしていた。

田舎とか自然とかナチュラルとか まるで絵本の中のおはなしのようにながめて。

家族が増えたことで かけがえのないものを得たはずだったのに 一歩外に出るたびに ”普通に”という 自分ではない基準に いつも迷っていた。

自由ということも ”普通”ではないらしい。正しいことは”ウザイ”らしい。

子どもたちにどう伝えればいいのか 世の中を上手に渡っていくことなのか。

どうも私たちは 上手ではないらしい。

きょうはいい天気。

洗濯をしよう。  私たちの歩き方で のんびりやっていこう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分探し

歩いた。歩いた。

元の生活に戻そうと 本を読み、体に良いならなんでも試したいと思った。

リハビリのため 体力作りのためと歩き始めた。なるほどよいらしい。

朝 子どもたちの起きだす前の時間 二人だけの時間。

いままで顔を合わせも上手く話せなかったこと きっと伝わっているはずとおもっていたこと 言葉にするとせめてしまいそうで言えなかったこと呑み込んでしまっていたこと。

 

つながっていると思えば思うほど 言葉にせずにきたこと。

ふたり前を向いて言葉にしていく。ひとりごとかもしれないけれど、となりにいてくれる。

道端に花が咲いていた。「きれいな雲だね」視線を空にうつす。そんなことかも。

「大変だね がんばってね」 なぜかどんどん立派な妻にされれている。

そんなに わたしはりっぱではないし ものわかりもよくない。正しくもない。

もしかして 本当に自分探しをしているのは 私のほうかなのもしれない

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リセット

あたらしい地を探そうとしていた私たちはなにをしようとしていたのか。

いままでいろんな人のブログに励まされ、勇気をもらってきた。

まさか自分で書いてみようなんて思ってもみなかった。

でも今までのすべてをおいても あたらしい生活に向かおうとしたとき どんどんあふれてくる気持ちに追いつけず じぶんのために残しておかなくてはと思った。

書き始めてたった数日でいろんなことがあった。いやあったわけではなくて、もっと前からわかっていたこと。それをおいてでもいこうと思っていたし。

仕事のこと 子どものこと 親のこと いろいろあって いますぐの引越しはなしになった。

すばらしい地に会えたと思っている。田舎暮らしと呼ぶにはあまりに良すぎたのかもしれない。そして私たちがそれにこたえられるだけのものであれば、いや私たちが望んでいるものがそれだと思えれば なにをおいても行けたと思うのに。

なぜ自然に生きたいと思ったのか。

なんにもないけどぜんぶある。

都会みたいにものにあふれてなくても 自然の中の暮らしにはぜんぶがあると思った。

いまもそれは変わらないけど 今の私たちにはなにもないけど 結局はぜんぶ自分の中にあるのかもしれない。

新しい自分を綴っていこうと思っていたのに 結局自分と向かいあわなくてはいけないということなんだ。

だからリセット

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歩く歩く

今日は 教習所の定休日。 

引越しの予定で わずかながらにやっていた仕事もやめた私、ひさしぶりの休日というところ。

今日は夫の検診の日だった。 そうね ひさびさにいっしょにいこうか。

歩く 歩く 歩く ただそれだけなのに ことばがあふれるようにでてくる。

これも私たちの大事な時間。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

暮らしの おへそ

また本が増えてしまう… シンプルに暮らしているひとは きっとこんなには本に埋もれてはいないのだろうなと思う。

写真がすき。なんともいえない紙の感触がすき。でも特別りっぱな本にかこまれているわけでもない

なんだろうっていう雑誌がいつまでもとってあったり。

”図書館のひと”になれたらきっと幸せだろうと思う。ずっと本にかこまれていたいな。

”冒険のたび”に出ようときめてから いろいろなものを手放した。

今のわたしたちに なにが必要なのか。よけいなものはすてていこうと思った。

むかしの私に できるだけのさよならをして いまの私たちのものを と思った。本もおなじ。

どこにこんなにかくれていたんだろう。

いまは しばし足ぶみ状態。さよならすればいいの?それともそれもいまのわたしなの?

わたしたち どこへいってしまうんだろう。

ちいさいことでも ひとりひとりにだいじなものがあって だから毎日ちゃんと暮らせるんだって。

わたしのおへそ もういちど考えてみようっと。 

暮らしのおへそ Vol.3―習慣から考える生き方、暮らし方 (3)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

くるまにのる

新しい場所を探すために 我が家に”あたらしい仲間”がふえました。

もう7万キロ走っているがんばりやさんなんだって、ほっぺのキズもご愛嬌でしょう。

でも私は動かしてあげられないんだな…

それで一大決心です。免許をとろう!

東京に来てから ずっと保留にしてきたこと、どちらかといえば 逃げ回っていたこと。だってあまりに鈍すぎ、自転車もあやしいわたしです。

いま教習所から帰ってきたところ。ぜんぜんまだまだです…

いまでもなんでこんな勇気をだしたのか信じられない。

なんだろう この10年以上 ずっとこのまま のんびりおばあちゃんになっていくのかな~ なんて思っていたのに。

知りたいことたくさんあるんだって やっと気づいた。

まだ間に合うよね。 今は、おばあちゃんになっても 知りたいことはとまらない気がしてる。

まずは くるまに乗れるようになることね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こどもの声

こどもたちがあそんでいる。

日暮れを追いかけるように。

この時間 二度と来ないなら…だいじにしよう。

でも早く帰っておいで  ごはんだからね。

ku:nel (クウネル) 2007年 03月号 [雑誌] 今日のほん   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ちいさいおうち

小さいころから 大好きなほんです。そしてこれからの暮らしを考えたとき あらためて子どもたちにプレゼントしようと思っていたのです。

そんなある日 息子が「学校でいい本読んでもらったんだ。いまのうちみたいだよね。泣きそうになちゃった。」と話し出したのは この『ちいさいおうち』のストーリー。

「そうね お母さんも大好きな本よ。おうちはちゃんとみつけてもらって、あたしい丘に引越したんだもんね。」

だれが悪いのでもないのかもしれない、ただ幸せに豊かになろうとしていただけかもしれない。

でもそれは さみしいことでもあったよね。

私たちにも “あたらしい丘”は見つかるかな。それともここを“あたらしい丘”にできるのかな。

ちいさいおうち

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然に暮らす、自然と暮らす

自然に暮らそうと思いました。   ゆっくり だいじに暮らしていきたいと思いました。

自然と暮らすことで その思いに近づけると思ったのです。

でも自然と暮らすことばかりに思いを募らせているうちに 自然に暮らすことが見えなくなりそうになっていたのです。

自然は癒してくれる、パワーをくれる。でもそれだけではないのですよね。ちゃんと向き合っていかなくては、時には立ち向かわなくてはこたえてくれないかもしれない。だから力になるのですよね。

自然の中に入れば 力をもらえるような気がしていたのです。でも 違うのかも どこにいても”思い”があれば自然に暮らせるのかもしれない。

その”思い”があるから自然がこたえてくれるのかもしれない。

だから私たちはまだまだ”思い”を重ねていかなくては いけないのですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

しんじつだけが魂をうつ

今月の言葉。

本好き(本屋好き?)なので いろいろ読みますが この言葉を というものはなかなかむずかしいです。

でも自然に暮らそうと思い出してから いろいろなひとの ひとつひとつだいじな言葉があるんだとおもうようになりました。

カレンダーをめくってみた。

わたしたちの 本当の気持ち 考えなさいといういうことか。

不都合な真実

いますごくきになっていること。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

むずかしいですね

おうちのこと まだまだ進んではいません。

この数日 引越しのこと というより これからどう生きていきていきていの?という人生論になっています。

みんなで たのしく 気持ちよく暮らしていきたい、そう思うのですが むずかしいのかな。

世の中そんなに甘くないんだって そうなんだけど ひとつづつでも たいせつに思えること だいじだって思ったこと気づいたこと信じて生きたいのはだめでしょうか。

自分たちが少し揺らいでしまったことが 少し不安にさせています。

もう一度 ゆっくり考えてみます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »